冬。僕はきみの傍に、

003.三日月の夜

 夜になったばかりの暗い空に、細い月が僅かに引っかかるようにそこに居た。
 黄色というよりは白により近い色で煌々と輝く三日月は、それでも満月の頃よりは控えめなところが僕の胸にやけに沁みた。
 別に見つけるつもりは無かった月に、何故か視線が止まってしまった僕は同時に歩みも止めていた。
 月を見れば、僕は楽しかったとも言えない、忌々しいとも思い切れない過去の男のことを思い出してしまう。
「お前は月みたいな奴や。隠れた部分が多すぎる。時々、本当の自分を見せた思たら、今度は全く見せへん。形もころころ変わりよるし、一体本当のお前はどれやねん」
 高校の頃に付き合っていた奴に、いきなりそう言われて別れを告げられた。
 関西の方から引っ越してきて、僕の高校に編入してきたそいつは、僕には無い明るさと暖かさを持っていて、僕はそういうところに惹かれていった。
 そいつは僕のどんなところを好きだったんだろうか?
 お互いに告白しあったときには、「謎なとこに惹かれるんや」って言われたんだけど……。
「なんやっちゅーねん」
 それ以来、月を見るとそいつの事を思い出して、僕はたまらなく苛々とした気持ちになる。
 見るつもりも無かった月に苛立ちをぶつけようと、月を見上げながら下手な関西弁で呟いた。
「なんや、とはなんだい?」
 突然、独り言のつもりだった呟きに返事があって、僕は飛び上がるほど驚いた。
 慌てて声のした方を見ると、小さな公園の入口に一人の男がいた。
 不審者か浮浪者かと思ったけど、よく見れば金髪碧眼で身なりの綺麗な青年だった。
 僕よりも3つくらい年上に見える。
 見かけからして浮浪者の線は消えたけど、だからと言って不審者の線が消えたわけじゃない。
 僕は用心しつつ彼を睨みつけた。
「どちら様ですか?」
 しかし、相手は臆する風も無く、また逃げたりきょどったり怪しい動きもせず、ただ微笑を浮かべて僕を見ると口を開いた。
「はじめまして。私はリン。今日、ここへ来たばかりなんだ。良かったら、一緒に月見でもどうだい?」
 この辺りに引っ越して来たばかりなのか。見覚えが無いのも当然だけど……だからといってすぐに信用できるもんでもないし。
 そう僕が悩み考え込んでいると、リンと名乗った青年は少し悲しそうな表情をした。
「きみが警戒するのも分かる。私ときみは初対面だし、私はこの通りの外見だからね。誰に話しかけても避けられるか無視されるばかりだったし……」
 言いながら淋しそうに俯く。
 ま、確かにみんな避けるだろうな。見かけは立派な外国人だ。たとえ日本語で話しかけられても、咄嗟に「アイキャンノットスピークイングリッシュ」とか言って、みんな走って逃げるだろう。
 僕だってさっきは虚を突かれて立ち止まってしまったけど、昼間の街中で声をかけられたら逃げてるところだ。
 今も本当言うと早くこの場を立ち去りたいって思うけど――。
「少しくらいなら、一緒してもいいけど……」
 俯いて辛そうな顔をする彼を、なんとなく僕は無視することが出来なかった。
 そして、僕の言葉を聞いて顔を輝かせる彼を見て、何故か僕は親近感を持ったんだ。

「日本語、上手ですね」
 一緒する、とは言ったけど一体初対面の相手と何を話せばいいのか……。
 彼は何が嬉しいのかニコニコと微笑み、夜空を見上げているだけで何も言わない。
 僕にとっては居心地の悪い沈黙が続いているので、なんとか話題を探そうと頭を必死に働かせた。
 とにかく、外国人相手にはまずコレだと、口火を切った。
「そう? ありがとう」
 僕を振り返ると彼は嬉しそうにニッコリと微笑んで言った。
「日本の人と話をするのは久しぶりなんだ」
「へぇ〜」
「前に会った彼は私に良くしてくれたよ。話すのが好きな人で面白い人だった」
「はぁ」
「さよならするのは辛かったな」
「……」
 少しだけ悲しそうな顔をして、呟くように言う彼。
 何があったのかは知らないけど、僕の知らない人の話をされてもなぁ……。
「そういえば、彼もよく『なんやっちゅーねん』って言っていたな。“カンサイベン”って言うらしいけど、きみもさっき言ってたよね。よく使うのかい?」
 興味津々の体で訊いてくる彼に僕は首を振った。
「さっきのはふざけて使っただけです。関西弁は僕は話しませんよ」
 だけど、ということはこの人、前は関西に住んでいたのかな?それとも、知り合った「彼」が関西の人だったのか――。
「そう、残念だな。久しぶりにカンサイベン聞けると思ったんだけど」
 彼はそう言うと、少しつまらなそうな顔をした。
 そんな彼の態度が僕の癪に障った。
「じゃあ大阪にでも行けばいいじゃないですか」
 気が付けば冷たい言葉を口にしていた。
 瞬間、言いすぎたかもとは思ったけど、胸のムカつきを押さえられない僕は、慌てて彼から顔を背けると口をつぐんだ。
 しばらくの間、彼はそんな僕の横顔を黙って見つめてきた。
 怒っただろうか? 不快に思っただろうか?
 でも、次に彼が口を開き言った言葉は、更に僕を苛々させた。
「そういえば、さっき月を見上げていたけど何故?」
 何なんだろう。
 この人はさっきから僕の嫌なところばかり突いてくる。
 僕は今度こそ声を荒げて言った。
「そんな事、あなたに関係ないでしょう」
 静かな夜の公園に僕の声だけが木霊した。
 僕は少し恥ずかしくなって、顔が熱くなるのが分かった。
 初対面の外国人に、僕は何を八つ当たりしてるんだろう。彼はただ疑問に思ってることを訊いているだけなのに……。
 自分の未熟さと馬鹿さ加減に、僕は自分で自分が腹立たしくなって唇を噛み締めると俯いた。
 悔しいとき、腹が立ったときの僕の癖だ。
 こんな僕を彼は呆れていることだろうな。もう僕と一緒に居たくないと、帰ってしまうかも知れない。
 いや、いいじゃないか。僕だって初対面の相手と月見なんて、本当はしたくなかったんだし。
 彼があまりにも淋しそうな顔をするから、仕方なく付き合ってあげたんだ。
 それで文句言われても、僕の知ったことじゃない。
 だけど、どんなに言い訳を重ねてみても、僕の胸の痛みは納まらない。
 謝るべきだろうか……と、僕が考えていると、先に彼の方が口を開いた。
「確かに、私には関係ないことだ。でも、いつも月を見上げるきみの表情が辛そうだから、私は少し心配なんだ」
 真剣な表情で僕を見つめながら言う彼の言葉に、僕は思わず胸打たれた。
 僕はこんな見ず知らずの人に心配してもらいながら、「関係ない」と突き放したんだ。最低だな。
 真摯な青い目を見つめ返していると、強張った僕の心は解きほぐされて、僕は気が付くと過去の失恋を彼に話していた。
 関西弁の彼にフラれたことを……。
「僕をふったとき、あいつは僕のことを月に例えた。隠れた部分が多いとか、全く自分を見せないとか……。僕は一所懸命あいつの想いに応えようとしてただけなのに……。
人間なんて人の見方によって変わることもあるはずだし、月だって隠れたくて自分を隠してるわけじゃないだろうし……。
それからは月を見るとあいつの言葉を思い出してしまって――」
 月を見上げながら僕はぽつりぽつりと語った。
 そして、月を見上げながらさっき月を見上げた時の気持ちを思い出した。
 月を見て過去を思い出し、その苛立ちを僕は月にぶつけてしまった。
 月は僕に何もしていないし、それどころか僕なんかの例えに使われて、逆に申し訳ないと思うところなのに。
「でも、あいつにそう言われてから、僕は月がまるで僕の半身のような気がしてた。
そんなの、月にはいい迷惑だろうけど――……」
 月が自分の半身だなんて、きっと笑われるだろうと思っていたけど、見ると彼は微笑を浮かべて僕を見つめていた。
「いや、そんなことは無いよ」
 いやに断言するように言うから、僕は少しだけ不審に思って眉をしかめた。
 月の気持ちなんて誰にも分からないだろうに。
 そもそも、月を擬人化して言うこと自体、普通ちょっと変な感じだと思うはずだけど。
「きみが私を見上げて悲しそうな顔をするから、いつも心配していたんだけど、自分の半身のように私を思ってくれているなんて、とても嬉しいよ」
「……・??」
「だけど、もうあんな悲しい顔はできればして欲しくない。
きみさえ良ければ、私は夜空にある間ずっときみを見守っていよう。
きみが少しでも望んでくれるのなら、今日のようにきみの傍に居てもいい――」
「な、にを、言って……」
 僕は途端に彼のことが怖くなった。
 彼の言葉をそのまま受け入れるなら、彼は――あの夜空に浮かぶ月自身ということじゃないか?!
 そう思うと彼の姿が尋常ではないように見えた。
 金色の髪はやたらに輝き、体もまるで幽霊のように透けて……。
「えっ!!?」
 いや、気のせいじゃない。
 実際に彼の体は透けて、光が夜闇に溶けるようにキラキラと輝いていた。
 幽霊ではない、その神々しくも思える光に、僕は逃げるのも忘れて彼を見つめ続けた。
「ああ、時間が来てしまった。
私が姿を現せるのは、夜空に私が――月が浮かんでいる間だけ……。今日はきみたちの言葉でいう三日月だから、少ししか姿を現すことしか出来ないんだ。
しかも、夜の間だけ――……。
それでも良ければだが、時々私の話し相手になってくれると
――嬉しい。
私のようだ、と言われたきみと友達になりたいんだ」
 理解できないことを言いながら、彼の姿がどんどん薄れていく。
 その微笑みも闇に溶けて見えなくなる。
「よかったら明日、またここで逢おう――」
 最後にそう言って、ついに彼は消えてしまった。
 僕は呆然と彼の消えた闇を見つめながら、今起こったことは夢か幻かと考えた。
 ふと、僕は夜空を見上げて先ほどまであった月を探した。
 だけど、月はどこにもなくただ星々が瞬くのみだった。
 月のない夜空を見上げながら、僕は彼の言葉を思い出していた。
『でも、いつも月を見上げるきみの表情が辛そうだから、私は少し心配なんだ』
 彼はそう言っていた。
 もし彼が本当にあの月だと言うなら、月を見上げている僕を彼は見ていて、そしてずっと心配していてくれたという事なんだろうか。
 それに、僕が月を半身のように思うと言っても、嫌な顔ひとつせず「嬉しい」と彼は言った。そして、友達になりたいと……。
「――」
 気が付くと僕は恐怖や不安よりも、今さっき僕の前に現れた金髪碧眼のリンという男に尋ねたいことが幾つか出来て、これが夢や幻でもとりあえず明日またこの公園へ来てみようと考えていた。
 できれば長く話が出来るように――。
 月が出る頃にこの公園へ着けるように――。

[終]

2006.07.12

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