冬。僕はきみの傍に、

002. 過保護

 朝、目が覚めたそいつが「腹減った」と言えば、あいつは例え前日は徹夜で2時間しか寝ていないとしても起き出し、そいつに飯を作ってやるんだ。
 そうして喉が乾いたと言えば水を出し、水を嫌がれば今度はいそいそと牛乳を出してやる。
 自分の相手をしろと言われれば、おもちゃを取り出し満足するまで相手してやり、疲れて眠くなり膝を所望されれば、惜しげもなくあいつは膝を貸してやるんだ。
 そうしてクマの出来た目であいつは、眠るそいつを見下ろし頭や背中を撫でながら、幸せそうに微笑むんだ。
 「猫可愛がり」とはよく言ったものだ。
 ましてや、ホンモノの猫なら出来すぎってもんだ。
 あいつ――北城拓真(ほうじょうたくま)は最近飼い始めた仔猫にベタ惚れで、寝ても覚めても頭の中は猫のことでいっぱいだった。
 しかし――……
「可愛がりすぎだろ」
 口に出して言ったつもりは無かったが、どうやら無意識に呟いていたらしい。
 余程眠いのか眉間にしわを寄せ、ソファに座った膝に仔猫を乗せたままの格好で寝ていた北城だったが、俺の呟きが聴こえたのか薄っすらと目を開けてこっちを見てきた。
「なにが?」
「い、いや……」
 北城は猫のことになると盲目的だ。
 俺は曖昧に誤魔化して、わざとらしく腕時計を見るフリをした。
「それよりいいのか? 今日の講義」
「あ、もうそんな時間か――」
 北城も部屋にかけてある時計を見て慌てたが、膝に乗せた仔猫を見てどうしようかと困り果てていた。
 まったく仔猫が可愛いのもわかるが、大学だって大切だろうがよ。
「分かった分かった。俺が相手しといてやるから」
 そういって無造作に伸ばした俺の手を、北城が素早く叩いた。
「いてっ! なにすんだよ!」
「今、乱暴に扱おうとしただろ、お前」
 手をさする俺を下から睨みつける北城に、俺はムカッとしながらも肩をすくめて見せた。
「別にいいんだぜ? お前が遅刻しようが単位落とそうが、俺の知ったこっちゃないからな」
「啓人(けいと)」
 途端、北城の視線から鋭さがなくなり、また困ったような表情になった。
 そんな顔で見つめてきたって現状は変わらないぞ。
 猫をそのまま寝かせるなら北城は大学に行けなくて、大学に行くのなら猫は当然起こさなきゃいけない。
 俺は表情を変えず北城を見つめ返すが、それでもしばらくは猫を起こすべきかどうか北城は迷っていた。
 猫のこととなると判断が鈍る北城に、俺は呆れてため息をついた。
「全く、今のお前の姿を大学の奴らにも見せてやりたいよ。きっとドン引きされるか笑われるかのどっちかだな。いや、逆に女子はきゃーきゃー言って喜びそうだ」
 言いながら俺は今度こそ猫を、それでも乱暴にならないように北城の膝から抱き上げた。
 抱き上げた途端に猫は鳴きだし、丸い大きな目で俺を見上げた。
「啓人――」
「お猫さまのお相手は、不肖ながらこの俺がお相手仕りますので――北城はさっさと大学に行く用意をしろっ」
 俺はキッパリと北城に言ってやると、猫の寝床がある北城の寝室へと向かった。
 バタリと戸を閉めて耳を澄ませると、少しして戸の向こうからのそのそと北城が出かける用意をする音がし始めた。
 それを確かめると俺はホッと一息ついた。そして、ベッド脇にある猫専用のソファベッドに仔猫を下ろすと、仔猫が寝るまで撫でてやった。
 これでまた鳴かれたら、「お前に任せられない」とか言って本当に大学に行くのをやめるかも知れない。
 ここは北城が出て行くまで大人しくしていてもらわなきゃな。
 それにしても、北城が仔猫を飼うと言いはじめた時は、「意外だ」と思いつつもペットは癒しにもなるからいいんじゃないか、と思ったんだけど……。
 癒しどころか、これじゃあ逆に疲れるだけなんじゃないか? 全く。
 自分の気持ちとは裏腹に仔猫を撫でつつ、心中で悪態をついていると戸の向こうから「いってきます」の声が聴こえてきた。
 「おう」と答えてまた耳を澄ませると、玄関の戸の閉まる音がして静かになった。
 やっと出かけたらしい。
 俺はひとつため息をつくと、仔猫を撫でるのをやめてベッドへと寝転がった。
 仔猫は一瞬目を開けたようだったが、またすぐに眠りについた。
 しかし、全くなんだってせっかくの休日に俺が猫のお守りをしなきゃいけないんだか……。
 北城が猫を飼うと言ったときに賛成してしまったことを悔いながら、俺は寝転がったまま目を閉じ、いつの間にか仔猫と同じように眠りについていた――。

 北城と俺とは中学からの仲で、出会ったときからお互いに自分にとって得がたい友人だと感じていた。
 気がつけば俺は北城に普通とは違う想いを抱いていて、それは北城も同じだということを知って、高校3年の時にめでたく俺たちは恋人同士になった。
 今から2年前のことだ。
 それから北城は大学へ進学し、俺は就職という道をとった。
 北城は成績も良く将来は俺の想像も出来ないほどの難しい仕事に就いて、あれよあれよと言う間に出世して行くんだろう。
 もちろん俺と高校は違った。
 俺のところは普通科だけじゃなく、専門的な学科もあって、大学や専門に行くやつも多かったが、就職していくやつも少なくはなかった。
 俺も就職組みの一人で、とある店に調理師見習いで働いている。
 子供の頃から料理を作ることは好きで、この仕事も辛いことはあるが充実していて楽しい。
 だけど休日はできれば仕事のことは忘れて、楽しく過ごしたい
――できれば恋人と……。
 なのに北城は大学があって、最近飼いだした仔猫に夢中で、「今日休みなんだけど」と言えば、「俺が大学に行ってる間、猫を見ててくれないか」と来たもんだ。
 まだ仔猫だから一匹にするのは心配だって気持ちは分かる。
 でも今までに何度もそうしてて問題なかったんだから、そろそろ大丈夫だろうって分かっていい頃だろう?
 それに、俺は仔猫のお守りをしたいんじゃなくて、北城と一緒に過ごしたいんだって、北城だって分かってるはずなのに……。

 北城のベッドの上で熟睡してしまっていた俺は、目覚ましに起こされた気がして、いつもの癖で頭の上の目覚ましを止めようと手を伸ばした。
 だが、そこに目覚ましはなくて、そんな俺をクスッと笑う気配を感じて俺は目が覚めた。
 未だハッキリしない意識を何とか働かせようとしながら、薄暗い部屋の中で俺は視線を彷徨わせた。
 すると猫用のソファベッドの前で、仔猫の相手をしながら北城が俺の方を見て微笑んでいた。
「起きたか?」
「北城?――早かったな。もう大学は終わったのか?」
「啓人、本当に起きてるか?もう夕方だぞ」
「夕方?――げっ……」
 そう言われてみればやたら部屋が暗く、窓の外を見れば西の空が紅く染まっていた。この分だと東にはもう星が幾つか瞬いていることだろう。
 こんな時間まで俺は寝てしまってたのか……。
 自分のことながら驚き、次いで呆れ果ててしまった。
 肩を落としぼぅーっと放心する俺を笑うかのように猫が一声鳴いた。
 鳴き声を聞いて気づいた。
 目覚まし時計と思っていた音は、ご主人が帰ってきて起きだした仔猫の鳴き声だったのだ。
 目覚ましの音と仔猫の鳴き声も区別がつかないほど、俺は熟睡していたのか……。
 それにしても、こんな風に俺の休日は終わるんだな。空しい。
「啓人、大丈夫か? 意識はあるか?」
「ん? ああ……」
 返事をすると同時に自分の腹が鳴った。そうだ、ずっと何も喰ってない。
 俺はベッドを降りるとひとつ伸びをした。
「北城、腹減ってないか?」
「ああ、そりゃあ減ってるが……」
「じゃあ何か作ってやるよ」
「啓人、いいって。それに冷蔵庫には何も無いんだ」
「そうか。じゃあ材料買ってくるわ」
 言うが早いか、服と髪を整えると玄関へ向かった。
 せっかくの休日だったんだ。恋人に料理を作るぐらいしたいってもんだろ? こう……恋人同士らしいこと、とかさ。
 ま、そんなん口が裂けても言えねーけど。
 その代わり、ちょっと偉そうに恩着せがましくこう言ってみる。
「北城って意外に好き嫌い多いからな。どうせ偏食とかしてんだろ? 体によくねーんだからな、そういうの。俺が体にいいやつ作ってやっから、有難く喰え? な」
 北城は少し申し訳無さそうにしながら、出て行く俺を見送った。
 近くのスーパーへ入ると、ちゃっちゃと食材を見繕って北城の好きなフルーツもデザートに買って、北城の部屋へ戻った。
 それから手伝うという北城をキッチンから追い出し、手早く料理を作ってテーブルへ並べた。おまけに買っておいた仔猫のエサもテーブルの横の床へ置いておく。
 我ながら完璧だ。
 テーブルに着いて美味しそうに食べる北城を見て、俺は満足気に微笑むと自分の空腹も満たそうと食べ始めた。
 テーブルの横では仔猫もエサを食べ、時折こちらを見上げては「にゃー」と鳴く。ふむふむ、きっとお礼を言っているのだな。よいよい。これで一食分、北城の財布の負担が減ったのだからな。
 なんて思っていると、
「水か? ミルクか?」
と北城が立ち上がろうとしたので俺は慌てた。
「あー、俺が取ってくるから」
 立ち上がろうとする北城を制して、俺は急いで立ち上がると仔猫用の器に水を入れて、仔猫の前へと差し出した。
 全く、仔猫さまは外から帰ってきたご主人さまをこき使うことしか出来ないのか。
 上手そうに水を飲む仔猫を見ながら、俺は心中で悪態をついた。
 そんな俺を見て北城が苦笑した。
 なんだ? 俺、なにか変なことしたか? 不審に思って北城を見ると、その視線に気づいた北城が言った。
「お前ってさ、過保護だよな」
「は?」
 俺が過保護? いきなり何言いだすんだ、こいつは。
 訳分からんと言いたげな顔をしていると、北城が説明を付け足した。
「だってそうだろう? 今朝は俺が大学に行けるよう急き立てて、今は俺が腹減ったからって夕飯作ってくれて、俺の代わりに猫にエサや水をやってくれて――お前がいると、過保護に育てられてる気分だよ、俺は」
 北城がそう感じているなんて思ってもみなくて、俺はなんだか恥ずかしくなって顔が熱くなった。
 そんなつもりはなかったんだが、でも確かにいつも北城のことを優先に考えていたような気がするな。
 でも、確か「過保護」っていい意味じゃなかったような……。
「お前が嫌なら、やめるけど――」
「いや。嬉しいんだ、俺は」
 そう言うと、北城の顔が近づいてきて、テーブル越しに俺にキスをした。
 柔らかい北城の唇の感触が、俺の心臓を高鳴らせた。
 唇から甘い痺れが広がって、俺はこの上無い幸せを感じる。
 しばらくして離れていく唇を、俺は惜しそうに眺めてから北城を見た。半分閉じられた瞼と長いまつげが色っぽくて、俺はまた心臓が激しく鳴った。
 北城が視線を上げて俺の視線と絡ませると、少しだけ照れながら微笑んだ。
「啓人がいつでも俺のことを考えてくれてるって事が、俺はすごい嬉しいんだ」
「……北城」
「でも――ひとつだけ、直して欲しいところがある」
「な、なんだっ!?」
「俺のこと、名前で呼んでくれ」
「っ!!」
 俺は北城と知り合ってからも、付き合い始めてからもずっと「北城」と呼んでいた。「下の名前で呼べ」と言われても、どうにも俺には呼べそうになかった。
 そもそも、人を下の名前で呼ぶことが、俺は何故か苦手だった。なんかこう、馴れ馴れしい気もするし、逆に空空しい気もするし。
 それに、北城の場合は気恥ずかしいというのもある。
 だが、そうかと言ってマジな顔で見つめてくる北城に「嫌だ」とも言えないし……。
 俺は意を決っして北城を名前で呼んだ。
「た、拓真……」
「啓人――」
 北城の――いや、拓真の手が伸びてきて俺の頬に触れ、俺たちはまたテーブルを挟んでキスをした。
 さっきよりは激しいキスに、静かな部屋に俺たちの荒い息だけが――かと思いきや、エサを食べ終わった猫が鳴きだし、遊んでくれとばかりに拓真の膝によじ登りはじめた。
「お前なぁ……」
 せっかくいい雰囲気になってヤル気満々だったのに、これじゃあ気がそがれちまっていい迷惑だ。
 俺が苛々と猫を睨みつけると、そんな俺を見て拓真は申し訳無さそうに苦笑した。
「こいつが寝たら、続きをやろう」
 拓真の手にじゃれようとする仔猫をあやしながら拓真が言った。
 まるで子供が出来た夫婦の会話じゃねーか!?
 しかしそれしかないだろう、と俺は諦めてため息をついた。
 全く誰だ?拓真に仔猫を飼わないか、なんて言ってきた奴は。お陰で拓真の部屋じゃそうそうヤルこともできねー。
「なんでその猫、飼おうと思ったんだ?」
 今まで特に「猫が好きだ」とか言ったことのない奴が、なんで急に飼おうと思ったのか、ふと疑問がわいて何げなく聞いてみた。
 すると、「ん?」と僅かに片方の眉を上げて、チラリと俺を見るとすぐに視線を逸らせ、なんでもないという口調で言った。
「こいつの名前、ケイトって言うんだ」
「……」
「友だちの猫が仔猫を産んで、名前を付けたはいいが親に誰かにやるか捨てるかしろって言われたらしくてな、貰い手がなかったら処分されるって言うから――」
「だから飼ったのか?!」
「ああ」
「……」
 一所懸命に仔猫の相手をしている拓真の横顔が赤く染まっていた。
 仔猫の名前がケイトだからって――俺の名前と一緒だからって……それだけで飼うって決めたってのか。
「どっちが過保護なんだか――」
 俺は呆れてただただ拓真を見つめるだけだった。
 だが、名前が一緒だからと飼うことにしたという拓真の気持ちを考えると、くすぐったいような嬉しいような気持ちがして、俺はたまらなくなった。
 テーブル越しに手を伸ばし、逸らした拓真の顔をこちらへ向けさせると、拓真の顔に顔を近づけた。
 そうして、また俺たちは今日3度目のキスをした――。

[終]

2006.06.08

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