冬。僕はきみの傍に、

30.さよなら

 ここからは15禁です。
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 朝、いつもより少し早い時間に目を覚ます。
 昨日までとは違う朝の始まりに、晃の心では明と暗の相反する気持ちが入り混じっていた。
 今日から大学が始まる。面倒だなと思う半面、新たなスタートに高揚する気持ちもある。
 そして、大学とは別の自分の決心に、これもまた重い気持ちと高まる気持ちの2つの感情が交差する。
 晃は起きたあともしばらくベッドの中で湧き上がる感情をやり過ごし、大きく息を吐くとベッドから降りた。
 服を着替え顔を洗ったあとでダイニングへ行く。晃より早く起きていた一也が朝食を2人分用意していて、先に食べていた一也が「おはよう」と声をかけてくる。
 晃も「おはようございます」と挨拶を返し、テーブルに着くと「いただきます」と手を合わせて朝食を食べ始める。
 いつも通りの朝の光景だったが、晃は自分が少し緊張していると自覚していた。目の前にいる一也に対して、晃はどこか後ろめたさを感じている。
 そんな晃の感情を一也は知っているかも知れない。だが、新聞を読みながら朝食を食べる一也の様子は、まったく普段と変わらない。
 それを晃は有難くも思いながら、しかし一也の心のうちでは本当は何を思っているのか、それを考えると怖くもあった。
 しばらくして、晃が半分ほど食べ終えたころ、朝食を食べ終えた一也が新聞を畳んで立ち上がった。「後片付け、よろしくね」と言ってシンクに食器を置いて、ダイニングを出ると2階へ上がる。会社へ行く前の身支度のためだ。
 晃は食事を続けながら、一也の態度がいつもよりそっけないように感じて焦った。気のせいと思いながら、それでも頭の中がそのことで一杯になってしまう。
 もしかしたら怒ってるのかも……呆れたのかも……冷めてしまったのかも――そんな不安が胸のうちで渦巻く。
 しかし、そんな不安を打ち消すこともできず、2階から降りてきた一也はダイニングに顔を出し「行ってきます」と言って家を出てしまった。
 晃もいつものように「行ってらっしゃい」と声をかけて、一気に気が緩んで大きく息を吐き出した。
 起きたときに感じていた高揚する気持ちはすっかり萎んでしまったが、それでも自分の決心と一也のことを信じて、晃は自分自身に活を入れると残りの朝食をかっ込んだ。

「それで、まだ晃は一也さん家にいるわけ?」
 午前の講義を終え学食で昼食を取っていると、久しぶりに歩が声をかけてきた。晃の向かいの席を断りを入れてから座ったあとで、開口一番に言ったのがそれだった。
 歩はまだ晃と一也の関係を知らないはずだが、そうとは思いつつも一瞬心臓が跳ねた。
「ああ、そうだけど」
「よく追い出されないよね。面識はなかったんだろ?」
「そうだけど、一也さん優しいからな」
「ってか、晃も珍しくない? 出て行こうとしないなんて」
 歩の言い方が引っかかり、晃は首をかしげた。
「いや、だってさ。いつもの晃だったら、面識もない初めて会ったばかりの人の家に、そんな長いこと居候しようなんて無遠慮なことしないじゃん?」
 つまり、普段の晃だったら初対面の相手に迷惑をかけるような行為はしないだろう、と言いたいらしい。
 そんな風に見られていたのかと思うと、晃は嬉しくもあり、本当にそんな風に行動できてたらいいなとも思う。
 それはともかく――
「まぁ確かにそうかも……だけど、一也さんとは気が合うっつーか、何つーか……居心地がいいっつーのもあるし――」
 晃が言葉を選びつつ何とか説明しようとしていると、歩がふと不審そうな顔をして言った。
「もしかして晃さ、一也さんとデキてんの?」
「っ!?」
 あっさりと見抜かれたことに晃は驚愕し、同時に羞恥心から顔を赤くした。晃の口から返事はなかったが、そんな晃の態度が答えになっていた。
 歩は驚いた表情を見せたあとで、「ふ〜ん」と相槌を打つとニヤニヤと笑みを浮かべる。
「そうか、なるほどね。でも良かったじゃん。イイ人見つかって」
「ま……な」
 晃は顔を真っ赤にしつつも頷いた。
 照れ隠しで渋い顔を作る晃を、歩はニヤニヤと眺めながら明るい調子で続ける。
「オレは晃には年上がいいって思ってたんだよな」
 言われて晃は思いだす。確かに以前、歩に「年上を好きになればいいのに」というようなことを言われたことがある。そんなことすっかり忘れていたが、今なら歩の言っていた意味がわかる気がする。
 ただ、一也のことは単に「年上だから」で好きになったわけではないが。
「んで? 一也さんのどんなところが好きなの?」
 単刀直入に聞かれ、晃は飲んでいたお茶を噴出しそうになった。慌てて手で口を押さえて咳き込む。
「なに、その反応。ウブだな、晃は」
 そう歩に笑われて、少々ムッとした晃はそのまま返答を無視しようとしたが、「なぁ、どんなところが好きになったんだよ」と重ねて訊かれたので仕方なく答えることにした。
 あらぬ方に視線をやりつつ考えて――
「……優しいところ」
「ベタだな。他には?」
「理知的なところ」
「ふ〜ん、やっぱ大人ってことかな? それから?」
「意外に芯が強くて逞しい」
「ん?ってことは、見た感じ弱弱しいってこと?」
 歩の疑問に晃は一也の人物像を話して聞かせた。
 いつも柔和な笑みを浮かべ、常に穏やかな物腰で、怒ることは滅多にないし、弟に怒ったときも激しく怒鳴り散らすようなことはなく、冷静に言い諭すようだったこと。
 一見、打たれ弱そうに見えるが、しばらく一緒に過ごしていると全くそんな風には思えず、逆に打たれ強く感じること。
 晃より背が高く痩せているように見えるが、かつて柔道をやっていた名残か意外に逞しいこと。
 そんなことを一也の過去や弟とのやり取りを、当たり障りない程度に交えつつ説明した。
 聞き終えた歩は感嘆したように頷く。
「へぇ、一也さんってそんな感じの人だったんだ。オレ会ったことないからさ、高次さんのお兄さんだったらイカツイ感じの人なんだろうなってずっと思ってたよ」
 歩の言葉に今度は晃が頷く。晃も似たようなことを思っていたからだ。
「それで? 好きなところはそれで終わり?」
「んー、あとは――思いやりがあって無理強いしないところ。でも積極的ではあるんだけどな」
「あん? どういう意味?」
 眉間にしわを寄せる歩に、晃はしどろもどろになりつつも何とか説明するが――
「だからさ、一也さんは大人だろ。相手が嫌がることは基本しないんだよ。でも、たまに積極的になったりするんだ」
あまり説明になっていないようだ。歩はますます首を捻る。
 つまり、一也も大人とはいえ1人の人間なので、好きな相手に「好き」と伝えたり触れたりしたいという感情や欲求はある。それを好きな相手――晃に求めようとするが、晃が本当に嫌だと思うことは絶対にしない。だが、晃が嫌だと思っていないと察した場合は、意外なほど積極的に求めてくる。
 その辺りの押し引きが一也は心得ているように思う。
 ということを晃は何とか説明し、歩もやっと理解したようで「ふんふん」と頷いた。
「つまり、晃はまだ一也さんと最後までシてない、と」
「なっ!?」
 唐突な歩の言葉に、晃はつい大きい声を上げそうになり、慌てて声のトーンを抑えると続けた。
「――なんでそういう話になるんだよっ!?」
「話聞いててなんとなく。違った?」
「っ――」
 晃の剣幕に圧される様子もなくあっけらかんとしている歩に、晃は言い返す言葉もなくそっぽを向くと「そうだよっ」とやけっぱちに言った。
 すると歩は得意気な顔をして「やっぱりね」と言った。
「晃のことだから、その辺真面目に悩んでんだろうなって思った」
 まさしくズバリと言い当てられて、今度こそ晃は言葉を失くす。
 先日、高次に「兄貴といつヤんの」と訊かれ、「俺らの勝手だ」と晃は言ったが、結局は晃の気持ち次第なところではあった。
 実は昨夜、一也とのキスの流れから“そういう”雰囲気になったのだが、それを察した瞬間、晃は咄嗟にそれを拒んでいた。一也とするのが嫌だったわけではない。なのに、無意識に晃は拒んでしまっていた。
 拒まれた一也は一瞬悲しそうな顔をしたあとで、なぜか「ごめん」と謝り晃から離れていった。離れていく一也を、晃は引き止めることができなかった。
 そういうことがあり、晃は今朝の一也の態度が気になっていたわけだが……。
 もちろん晃は一也が好きだし、そういうことをしたい気持ちは間違いなくある。だが、やはり心のどこかでまだ祐介のことが引っかかっていた。
 とはいえ、祐介を好きだという感情の整理はもうほとんど着いている。それなのに引っかかってしまう原因は、感情に区切りをつける何かきっかけが必要なんじゃないかと晃は思っていて、それを今日達成させようと考えてはいた。
「真面目すぎるんだよねー、晃は。んでもってウブ!」
「うるさい」
 唸るように言い返してから晃は短く息を吐いた。
「祐介とはさ、何か流れでやっちゃったから、すげぇ後悔してんだ。だから、もうそういうのは嫌なんだ」
 すると、さっきまで茶化していた歩が「ホント真面目すぎ」と苦笑する。が、すぐに表情を明るくし、
「じゃあさ、一也さん家にそのまま住むの?」
そう訊ねてくるので晃は首を振った。
「いや、出て1人暮らしする」
「なんで!?」
「1人暮らししたことないからやってみたいってのもあるし、ちゃんと1人で自活できるか試したいってのもある。それに、一緒に住んでたらやっぱり流されたり、なあなあになったりすることもあるだろ」
「なあなあって?」
「祐介とはさ、幼なじみで親友だから結構長いこと一緒にいて、なんか次第にそれが普通っていうか当たり前になって、その関係が壊れるのが怖くなったんだよな。親友でいる自分が板についちゃって、そっから身動きが取れなくなるって感じ」
「ふんふん」
「一也さん家に居候始めたのって、祐介と密くんのことから逃げて来ての結果じゃん。そういうきっかけで始めた同居だから、このまま続けても何か『逃げてきた』ってとこが引っかかって嫌になる気がするんだ」
「ふ〜ん」
「だから、一旦一也さんの家から出て、普通に付き合うところから始めたいんだ」
 晃の言葉に歩は少し考え、
「つまり、普通の恋人同士のように、メールしたり電話したり、どっかで待ち合わせしてデートしたり、ってことから始めたいってこと?」
 詳細な問いかけに頬を赤くしつつも晃は頷いた。
 途端、歩は目を見開くと声を上げた。
「何それ乙女じゃん!」
「だ、黙れっ!」

 夕方になり、晃は大学から直接アパートに向かった。
 つい最近までいつも通っていた道を辿り、祐介とシェアしていたアパートに着く。
 晃はあらかじめ祐介にメールで「話がある」と連絡していたので、きっとアパートで晃の到着を待っているはずだ。
 部屋の前まで来ると晃は合鍵を使いドアを開け、ふと何て声をかけて入ればいいのかと迷ったが、結局「ただいま」と声をかけた。そうして、玄関に入り靴を脱いでいると祐介のものではない靴が晃の視界に入った。
 祐介の恋人である密が来ていると察し、祐介が呼んだのか密が訪ねて来たのか分からないが、どちらにしろ「空気読めよ」などと内心で悪態をついてしまう晃。
 それでも、晃はそんな感情を出さないよう意識しつつ玄関を上がろうとしたところで、声が聞こえたのだろう祐介が廊下に顔を出し「おう、お帰り」と晃に返してきた。
 そして、手招きされるままリビング兼ダイニング兼キッチンへ入ると、キッチンで密が立って何かしているのが見えた。
 晃が入ってきたのに気づいた密が、こちらに振り返り頭を下げる。
「先日はご迷惑をおかけしました」
 そう言われて「そうだな」とも言えず、晃は「いや、自分が勝手にしたことだから」と手を振ってダイニングのテーブルについた。
 すると、密はコーヒーを淹れていたらしく、2つのカップに注いでそれをテーブルに置くと、「僕、外出てますね」と言うので晃が引きとめた。
 空気読めと晃は思ったが、聞かれて困ることもないのでわざわざ追い出すこともないと思ったのだ。
 引き止められて密は戸惑いつつ、祐介に促されるままその隣に腰掛けた。
「それで、話って何だ? 部屋を出てくって話か?」
 晃がコーヒーに砂糖とミルクを入れて一口飲んでいると、その間が我慢できなかったのか祐介が話を急かした。
 カップをテーブルに置いて晃は、緊張をごまかすようにひとつ咳払いをすると「実は」と口を開いた。
「実は俺、ゲイなんだ」
 途端、部屋がシーンと静まり返る。祐介はポカンと呆けた顔をし、隣の密はハッとしたように息を呑んだ。
 予想通りの反応に晃は頷きつつ続ける。
「親友のお前にずっと黙ってたのは悪かったと思ってる。本当にごめん」
 軽く頭を下げる晃を見て、我に返った祐介が慌てたように首を振った。
「いや、それは別に……晃が謝ることじゃ――え、いつから?」
「いつから? 生まれつきだよ。いつ自覚したかって話なら、小さいときからだよ」
「そうなのか……知らなかった」
 祐介の様子に、本当に何も気づいてなかったのだと確信し、晃は内心でガッカリした。ほんの少しでも「やっぱり」と思ってくれていたら、上手くは言えないが救われた気持ちになるのに、と晃は女々しくもそう思ってしまう。
「あっ、だからお前、おれが男を好きになったって言っても、普通に応援してくれてたのか?」
「ああ、うん、まぁな」
 祐介の言うことに概ね間違いはないのだが、晃がゲイと知って親友の祐介を実は好きだったという事実には気づかないものなのかと、晃は再びガッカリする。
 しかし、そんな気持ちを表に出さないよう気をつけ、晃はヘラヘラと笑みを浮かべて続けた。
「んで、俺好きな人ができてさ、相手の人も俺を好いてくれてて、その人の家の近くに部屋を探そうと思ってるんだ。それに、1人暮らしってのも経験してみたいし。だから、お前とシェアできなくなるってことを言いたかったんだ。すまん」
「いや、それはいいけど――好きな人って男、だよな?」
「ああ、そうだけど?」
「その男っておれの知ってる人?」
「いや、知らないと思うけど」
「そうか……」
 呻くようにそう言って腕を組み、何やら考え込む様子を見せる祐介に晃は首をかしげた。
「なんだ? 何が引っかかんの?」
「いや、お前が男と付き合ってるなんて、想像できんなと思って」
 祐介の言葉に晃は苦笑する。
「そりゃ俺もそうだ。お前が『男を好きになった』って言ったとき、俺も驚いたんだぜ。今までそんな気配すらなかったんだからさ」
「そっか。お互い様か」
 そう言って笑う祐介だが、ハッと気づいたように真顔になると言った。
「そうだ、もしかしておれ、気づかんうちにお前に悪いことしてなかったか?」
 祐介の問いに「いや、別に」と返したあとで、さっきからずっと固まっている密に視線をやり、晃は「ああ」と付け加えた。
「そういえば、密くんが来たときはちょっと困ったかな?」
 途端、ビクリと震える密の様子に、少しだけ良心が痛む晃。そんな2人の様子に気づく風もなく、祐介は「困るって?」と訊ねてくる。
「ほら、夜に声が聞こえてくるとさ、ムラッと来んだろ」
 すると祐介はテレッとした笑みを浮かべて頭をかきつつ「それはすまん」と謝った。だが、すぐにまた表情を硬くすると――
「ちょっと待て。もしかしてお前、密のこと……?」
 そんな祐介の言葉に三度ガックリする晃。
(どうしても対象が自分だとは考えられねーんだろうな……)
 祐介の鈍感さに呆れ果て、晃は苦笑しつつ肩をすくめると「そうだな」と頷いた。
「ま、3Pもアリかもしんねーな」
 すると2人、何とも言えない表情で固まるので、晃はそれが面白くなり声を上げて笑った。
「冗談だよっ、冗談!」
 晃がそう言うと祐介はホッと胸をなでおろし苦笑した。
「驚いた。晃がそんな冗談言うとは思わなかった」
 その後、部屋の更新手続きや引越しの予定日について、幾つか話をしたあとで晃はアパートを後にした。
 部屋を出て階段を降り少し歩いたところで、いつの間に出てきたのか後ろから密に呼び止められた。
 何となく密の言いたいことを予想しつつ、晃は振り返ると密と向かい合った。こうやって、密と2人きりで話すのは確か二度目だったかと思う。というより、それ以外でまともに話したことなど無かったような気がする。
「なに?」
 晃を呼び止めてはみたものの、どう話を切り出そうか戸惑っている様子の密に、晃の方から話を促してみる。すると、密は深々と頭を下げて言った。
「本当に、迷惑かけてすみませんでした。それと、ありがとうございました」
 謝罪と礼を同時に受けながら晃は、頭を下げたままの密の後頭部をじっと見つめた。
 一瞬、どう返せばいいのか分からなくなった晃だったが、自分が何か言わなければ頭を上げないらしい密に、ひとつ息を吐くと言葉を捻り出した。
「お詫びとか礼とかはもういいって。俺は親友の祐介を助けたくてやったことだし、きみの事情もぼんやりとだけど聞いたし」
 晃の返事にやっと密は頭を上げたが、表情は曇ったままだ。
「でも僕、祐介さんや晃さんを巻き込んでしまって……」
「だから申し訳ないって? 俺はもうきみの謝罪と礼は受け取った。あとはきみ自身の気持ちの問題だし、事は祐介ときみの問題だろう。俺が許さないってんだったら、それはきみが祐介を無意味に傷つけたときだけだ」
「晃さん……」
「例えば、この間みたいに誰にも相談せず危険人物と会う、とかな。そういう独りよがりなことはやめろよ。それで傷つくのはお前だけじゃない、祐介も傷つくんだからな」
「……はい」
 密の返事を聞き、晃もひとつ頷いた。
「俺はどういう形であれ、親友が幸せになってくれればと思ってる。きみと一緒なら幸せってあいつが言ってんだったら、俺はそれを応援するだけだ」
「……」
 晃はそれで会話を締めたつもりだったが、それでも密がまだもじもじと何か言いたそうにしている。
 それもまた、大体何を言いたいのか晃は察していて、知らないフリして帰っても良かったのだが、会うたびにもじもじされたのでは逆に気になって仕方ない。そう思って晃から促すことにした。
「まだ、何か?」
「……あの、晃さんは祐介さんのこと、その……」
 促されて口を開いたものの、密が言えたのはそこまでだったらしい。意気地なしめ、と思いつつ、自分も人のこと言えないということに気づいて晃は、先の言葉を掬い取ってやることにした。ただ――
「好きかって? さぁな。実直で強くて正義感があって、そういうところは憧れてはいたけど、鈍感で不器用で気が利かないから、その辺り親友としては手を焼いたりもしたからなぁ。とくに、きみを好きだとあいつが言い出してからは大変だった」
「す、すみません……」
「ま、今度は恋人としてきみが手を焼くかも知れないけど、あいつは絶対裏切らない奴だから、幸せにしてもらえよな」
「は、はい!」
「じゃ」
 返答はぼかして話をすり替えて、強引に締めると踵を返した。
 結局、ちゃんとした答えを言わず、密も答えてもらえたのかどうなのか後で首を捻ったことだろう。
 今更、祐介本人ではないにしても、その恋人に感情を打ち明けるなど意味はなし。その想いを隠したことに対しても、晃は不思議と胸が苦しくなるようなことはなく、いつの間にか吹っ切れていることに気づいた。
 そんな自分の感情の変化に驚きつつ、どこか清々しい気持ちで晃は一也の家へと帰っていった。

 晃が一也の家に戻ったのはいつもより少し遅い時間だったが、一也が帰ってくるまでには夕飯の準備もできるだろうと、そう思いながら門に手をかけたところで、晃は駐車場に車が止まっていることに気づいた。
(一也さん、帰って来てる――もう!?)
 今までこんなに早く帰ってきたことはなく晃は驚き、急いで門をくぐり玄関を開けると中へ「ただいま」と声をかけた。
 すると、すぐに廊下に一也が出てきて、笑みを浮かべながら「おかえり」と晃を出迎えた。
「一也さん、今日早かったんですね」
 玄関を上がりながら、驚いた疑問を晃はそのまま一也に伝えると、その一也の笑みが苦笑に変わった。
「うん、早引けしたんだ」
「どこか体調でも?」
「いや、まぁ会社にはそう嘘ついてしまったんだけど……心配だったんだ」
「心配?」
 一也が会社に嘘をつくなんて珍しいんじゃないかと、さらに晃はびっくりして目を丸くした。
 そんな晃の視線を少々気まずそうに受けつつ、一也はまた晃の驚くようなことを言った。
「晃くんが、帰って来ないんじゃないかと思って……」
「一也さん……」
 一也の意外な発言に晃は絶句した。いつも大人の余裕を見せていた一也が、まさか晃が帰って来ないかもと心配するようなことがあるだなんて、と。
「今日、祐介くんだったっけ。彼と話をしに行くって言ってただろう? シェアを解消するって話だったけど、彼と話をして『やっぱりやめた』って言って彼との同居を続けることにしたってことになったらどうしようって――」
 一也の言葉を聞きながら、そういえば一也には心配性な一面があったなということを晃は思いだしていた。
 密が危険人物と対決しに行ったとき、晃も助っ人に行ったが結局やられるだけやられて一也の家に帰ってきた。その後、一時部屋に篭って眠っていたら、夜になっても起きてこない晃を心配して一也が起こしに来たことがあった。
(そうか……一也さんでもやっぱ不安に思うことはあるよな)
 そのことに気づき、晃もまた不安に駆られた。今、このタイミングで晃の『この家を出る』という決意を伝えるのが一番いいだろうと思う。だが、「帰って来ないかも」と不安になっている一也に、このことを伝えると一体どんな反応が返ってくるのか、晃はそれが怖くて仕方なかった。
 それでも、歩に言ったように逃げてきた結果の同居を一旦やめて、流されるままではなく真剣に一也と向き合いたいと晃は思う。
「晃くん?」
 ふいに黙り込む晃を、一也が心配そうに見つめる。その視線を晃はまっすぐに見つめ返し、意を決すると口を開いた。
「俺、祐介とのシェアはやめます。でも、ここを出て1人暮らししようと思ってるんです」
「そう……」
 晃の告白に一也は多少驚いたのだろう、少しの間言葉を繋げられずにいたが、ふっと苦い笑みを浮かべると言った。
「わかった。僕はとても残念だけど――晃くんがそう決めたのなら、うん、仕方ないよね。短い間だったけど楽しかったよ。ありがとう」
 しんみりした一也の言葉に逆に晃が焦る。もしかして、別れの言葉だと思ったのだろうか。
「あっ、あのっ! 理由っ、理由を聞いてください!」
「……理由?」
 少々表情を曇らせたまま一也が首を傾げる。
 これから伝えることを晃は頭の中で整理しながら、先にその話をした歩に「乙女じゃん!」と言われたことを思い出してしまう。つい頬を赤く染めつつ晃はしっかりと一也を見つめ返した。
「俺、一也さんが好きです。ここは本当に居心地がいいし、一也さんの傍にいると落ち着くし、ずっと居たいって気持ちもあるんです。でも、ここに来た理由は親友から逃げるためでした。親友が同性を好きになって、そいつと結ばれる現実を直視したくなくて――でも、そいつと同居解消するのにも踏み切れなくて……」
 話しながら情けない気持ちに、思わず俯いてしまう晃。そんな晃の告白を、何も言わず聞きながら優しく見つめる一也。
「だから、逃げてきて同居してそのままっていうのは、なんか本当はそうじゃないのに流されてる気がして――。1人暮らしを経験しておきたいっていうのもあるんですけど、その、一也さんとは普通の恋人同士みたいなこともしたいなって……」
 耳まで赤くして晃はさらに俯く。
「恋人同士って――」
「あの……ケータイでメールのやり取りとか長電話とか、どっかで待ち合わせしたりとか……離れてる間、どうしてるかなって思ってみたり、とか……」
 言いながら晃は恥ずかしさで顔が上げられなくなった。
(うわ、ホント歩の言う通りじゃん。俺って乙女? 恥ずかしい……)
 だが、一也はそうは思わなかったようだ。しばし呆然としたあとで我に返ったというように言葉を発した。
「晃くん、それって僕と関係を続けて行きたいってこと?」
 やっぱり別れ話だと勘違いしていたと、晃は咄嗟に顔を上げるときっぱり言った。
「もちろんです! 俺、もう後悔したくないんで、今までのように我慢して、それが当たり前になって手遅れなんてことになりたくない。一也さんとはちゃんと向き合って、ちゃんと恋人同士になりたい――」
 晃の言葉を聞いて一也の顔がほころんだ。かと思うと、一也に引き寄せられて抱きしめられた。いつもとは違う抱擁に、晃も一気に感情が湧いて強く抱きしめ返す。
 一也の温かさと肌の匂いに満たされ、晃は幸福感に包まれた。
 本当はずっと一也の傍にいて、この安心感をずっと感じていたいと思う。だが、そんな環境から始まった関係だと、晃自身そのことに甘え、慣れ、当たり前になってしまうことが怖い。
 流されるまま生活し、自分や相手の気持ちに鈍感になってしまうことが怖い。
 自分の気持ちを知りながら蓋をするような真似をして、相手のことを勝手に「こうだ」と決め付けてコミュニケーションを怠り、その癖、相手との関係を壊したくないと怯え、当たり障りなく過ごすのはもう嫌だ。
 そんな自分への決別の意味も込めて、晃は一也と離れて暮らすことを選んだ。
 きっとそれを一也も理解してくれると信じつつ、だが伝えた瞬間に一也が離れて行ってしまうんじゃないかと怯えてもいた。
 しかし、一也はちゃんと晃の言うことを理解し受け入れてくれた。抱きしめられたその瞬間にそれが分かって、晃は安堵と嬉しさに思わず泣きそうになる。
 それは一也も同じだったようで、僅かに抱きしめてくる腕が緩み間近で見詰め合うと、一也の目や目の周りが少し赤いのに晃は気づいた。
(一也さんも……そんなに不安だった? それとも嬉しかったのかな?)
 晃が口に出せず心中で呟いた言葉が伝わったのか、一也が口を開いた。
「晃くんがそんな風に考えてくれてたなんて驚いたよ。昨日の夜、拒否されたからやっぱり嫌になったのかなって、ずっと不安だったんだ」
「一也さん……」
「正直に言うと、晃くんがここを出て行くのは寂しいし不安だ。でも晃くんの言いたいことはよく分かるよ。晃くんの気持ちの問題でもあるから、出て行くななんて言えない。――だけど、恋人として付き合いたいって気持ちはすごく嬉しい。僕もそういうことはした事がないからやってみたいと思うし、想像したらすごく楽しそうだなって思う」
 そう言って満面の笑みを浮かべる一也。
「晃くんがまた僕と一緒に住んでもいいって思えるまで、僕は待ってるから」
「一也さん――でも俺、本当はずっとここ居たいと思ってるってこと信じてください」
「うん、信じてるよ」
 頬に一也の手が添えられ顔が近づいてくるのに気づき、晃は目を瞑った。一也の唇が自分の唇に触れるのを感じ、至福を覚えると晃は気持ちが昂ぶるのを感じた。
 そんな晃と同じように気持ちが昂ぶったらしい、次第に深く情熱的に晃とのキスに夢中になっていく一也。充分に晃とのキスを堪能したあとで、一也は僅かに唇を離すと間近で晃を見つめ――
「ところで、普通の恋人同士みたいなこともしたいって言ってたけど、それって僕は晃くんを最後まで抱いてもいいのかな?」
 誤魔化しのない問いかけに晃は、やはり一也は意外なほど積極的なところがあると改めて驚きつつ、晃自身も一也を求めていたので躊躇いなく頷いた。
 それを見て、どこか安堵したような嬉しそうに微笑む一也に、晃もつられて微笑みを返す。
「好きだよ、晃くん」
「俺も、好きです、一也さん」
 互いに気持ちを伝え合い、再びキスを繰り返しながら、気持ちがひとつになっていくことの喜びを感じる2人。
 すぐに場所を一也の部屋に移すと、互いに服を脱がしあいながらベッドに倒れこんだ。
 性急に、そして夢中になって互いを求め、熱を共有しあい、晃は初めて一也をすべて受け入れた。
 その間、何度も一也に「好きだ」と囁かれ、晃も同じ言葉を返し、自分の中で一也の衝動を感じながら、晃自身も限界に達した。
 強い快楽と幸福感にめまいを覚えながら、晃は好きな人と体を重ねることがこんなにも幸せなことだったのかと、泣き出しそうになる。
 再びキスを求めてくる一也を抱きしめ、晃はこの幸せを大事にしようと思った。
 臆病な今までの自分とは決別し、ずっと一也と向き合って行こうと決心した。
 ずっと一也と居られるように、いつかまた一也と暮らせるように――。

2014.02.06

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