冬。僕はきみの傍に、

俺の日々の煩悶[2-9]

 終礼が終わると同時に俺は、ニシに「じゃな」と声をかけて鞄を引っ掴むと教室を飛び出した。
 いつもなら友明や雄樹を待つか、先に終わってたまに待っている友明と雄樹に合流するかなのだが、今日ばかりは会うとややこしくなるので避けるためにも素早く教室を後にした。
 とくに友明はなんか勘付いてるみたいだから、余計な情報を与えてさらに怪しまれるようなことは避けたい。
 ただもし、友明たちが俺の教室に来てその時まだ大野が居たら、間壁先輩からの手紙が俺に渡されたことを何の躊躇いもなく話してしまうだろう。そう考えると口止めしときたい気もするが、それをすると逆に意味深ととられて詮索されてしまうのでやめておいた。
 大野はどうもおしゃべりで噂好きなところがあるからな。下手に興味を持たれても困るし。
 何てことを悶々と考えつつ1号棟に1階から入ると階段を登る。校内にはまだたくさんの生徒がいるはずだが、さすがに1号棟には人の気配もなく静かだ。あんまりにも静かなんで間壁先輩はまだ来てないんじゃないかとか、場所を間違えたんじゃないかとか思ったりしたが、3階へ続く階段を上がりかけたところで顔を上げると、そこに間壁先輩が手すりに凭れて立っていた。
 間壁先輩は俺に気づくと手すりから離れ、いつもの柔らかい笑みを浮かべて俺を迎えた。
「や、久しぶり」
 その笑顔に俺は、早くなる動機とともに形容のしがたい感情を感じた。会いたかったような、会いたくなかったような――。これが告白される前だったら、俺はきっと素直に喜んでいただろう。
「お久しぶりです、先輩……」
 軽く会釈して返すと先輩が手招きをするので、階段の一番上まで登り先輩の隣に並んだ。僅かに背の高い先輩を見上げると、何だか本当にずいぶん久しぶりに先輩と向き合った気がした。
「今日も部活だろ。だから手短に話すけど……」
 口火を切る先輩の表情から少し笑みが薄れて、ふと、過去の告白の場面が脳裏を過ぎるが、
「最近、橋谷の様子がおかしいって部の後輩に聞いてさ」
 俺は内心「そっちか」と思わず視線を落とした。どちらにしろ聞きたくはない話題だが、元部長としては気になるところなのかも知れない。
「3年の僕らがいなくなって、気が緩んでる奴が2年にも居ないわけじゃないらしいけど――橋谷、練習中に2年とぶつかったんだって?」
「……はい。俺がついぼーっとしてて、ボールが上がって来てるのに気づかず――」
「うん。そういうのが故障の原因になるし、橋谷が故障するんでも、相手を故障させるんでも、どっちも良くないことだからさ」
「はい。すみません……」
 練習の外で間壁先輩に、こんな風に怒られることなんて今までになかったので、俺は肩を落として俯いてしまう。
 ところが、そんな俺の肩を先輩の手が強く叩き、思わず顔を上げるとそこに先輩の笑顔があった。怒られていたと思っていた俺はきょとんとしてしまった。
「なんてね。僕はもう部長でもないから、本当ならこれは新部長の役目なんだけど」
「あ、はぁ――」
「西森もぼやいてたよ。僕たち3年のようにはうまく纏められないって」
「西森先輩が、ですか?」
 意外な言葉に俺は思わず聞き返していた。あの意思が強いというよりは我が強いという印象の西森先輩が、自分の先輩とは言え他人にそんな弱音を吐くなんて、俺には到底想像もできないことだった。
 だが、先輩は当然とばかりに頷いた。
「西森って一見自信に満ちてて気が強くて尚且つ気難しそうに見えるだろ。まぁ、大体その通りなんだけど、あれで小心なところもあるんだよ。別に本人は部長として自信がないわけじゃないんだけど、がむしゃらに突っ走ってくタイプじゃないからいろいろ考えてしまうんだと思う。基本的には『俺について来い』ってタイプなんだけど、どう考えても実現不可能なことをやるような奴じゃなくて、ちゃんとリスクを考えて現実的な道を選ぶ奴なんだよね。ものの言い方がストレートなんでキツく聞こえるんだけど、大体言ってることは正論だし無茶なことは言わないから、だから僕も西森を部長に推したんだけど」
 間壁先輩が話しているのを、俺は些か唖然として聞いていた。
 西森先輩は部長になるくらいだからサッカーが上手く、3年の先輩と接する機会も多かったろうし、もしかしたらそれは西森先輩が1年の頃からだったのかも知れない。加えて、3年の先輩とは約2年間一緒に居たわけで、だから間壁先輩はこんなにも西森先輩のことを理解しているのかと思う。
 それでも、俺だって1年弱ほど西森先輩と一緒に部活動してきたはずなのに、否定的な印象しか持たずに部長になってもちゃんと受け入れようとしなかった。
 俺は自分の未熟な部分に気づいてしまい恥ずかしくなる。
「橋谷?」
 思わず俯く俺の顔を覗きこんでくる先輩に、慌てて俺は取り繕った。
「あ、いえ。西森先輩がそんな風に考えてたとは思わなくて。いつも自信たっぷりな感じだったんで……」
「そうだろうな。ま、キャプテン向きだろうとは思うよ。――それで、不調の原因は何だったんだろう」
「ああ……その、いろいろ、です。家のこととか」
「僕のこと、とか?」
「――」
 すぐに否定することが出来なかった。間壁先輩に告白されたことで、友明や雄樹の前で先輩のことを話すときは気を遣うし、今だって変に意識してしまっているのは事実だ。
 でも、最近のことで言えば義弟のことが原因だし、そもそも俺が練習に身が入らないことを先輩のせいにはできない。
「橋谷……」
「違います、先輩。確かに3年の先輩が居なくなって気が抜けたっていうのもあるけど、それは俺の問題ですから。俺、中学のときに全高見に行って、根湖高校の試合を見てあそこに行こうって決めたんです。先輩のプレーを見て――間壁先輩のプレーに感動して、それで……先輩は俺にとって憧れなんです。でも、その先輩が居なくなったからって気の抜けたことしてるのは俺が腑抜けだからで――」
「橋谷」
 幾分、強い口調で名前を呼ばれてハッとなった。思わず俯いてた顔を上げると、真剣な表情をした先輩と目が合った。
「あんまり自分を卑下するな。それは橋谷の悪い癖だ。そういうとこ練習のときの試合でもよく現れてる」
「……そう、ですか?」
「うん」
 唐突な指摘を受けて俺はつい呆然としてしまった。
 俺は自分を卑下していただろうか――そうだったかも知れない。でも、それが試合のプレーでも現れてるなんて思わなかった。そしてそれを間壁先輩に見抜かれてることにも驚いた。
「それと」
 先輩の指摘に過去を思い返し、思い返しながら視線を彷徨わせていた俺は、再び先輩が言葉を続けるので視線を戻した。
 先輩はもう、いつもの柔和な表情に戻って俺を見つめていた。
「憧れてるって言ってくれて、ありがとう。前にもそう言ってくれたよね。本当に嬉しかった。まさか橋谷が中学の頃からとは思ってなかったけど」
 そう言って笑みを深くしたあとで、先輩は少し悲しげに顔を歪ませた。
「でも僕は最低なやつだよ」
「先輩?」
「橋谷に憧れてると言われることが、今の僕には辛い……」
 次第に先輩の声のトーンが落ちていき、最後には絞り出すようにそう言われて俺はショックを受けた。
 俺が先輩に憧れる気持ちは間違いなく事実で、今までにも何度かそれを伝えたことはあるし、それはある種の好意を伝えるためだけのものだから拒絶を想定していない。
 それに、そんなに気持ちを押し付けたつもりも俺にはなくて、でも先輩がそんな俺の気持ちに「辛い」と感じていたということは、ずっと俺のこと疎ましく思っていた――?
「勘違いしないで欲しいんだけど、橋谷のその気持ちは嬉しいと思ってるんだ。僕も先輩として失望されないよう、尊敬される先輩でいようって、そう思ってやってきた。でも、僕は自分の本当の気持ちに気づいてからは、それだけじゃ嫌だと思うようになってしまったんだ」
 それだけでは嫌? つまり、憧れの先輩と思われるだけでは嫌だ、と……?
「これは僕の我儘なんだ。ついぞ引退まで、先輩後輩という壁を取り払えなかった僕の焦りや後悔が、素直に橋谷の気持ちを受け取れないでいるだけなんだ」
 そう言って先輩は鞄から小さな包みを取り出した。
「全高を見に行ったときから、僕はたぶん橋谷に失望させるようなことばかりしてきたと思う。でも、僕はもう自分の気持ちに嘘はつきたくない。これ――」
 包みを差し出されて俺は思わず受け取ってしまう。シンプルだがプレゼント包装されていることがわかり、俺は内心でギョッとしてしまった。
「今月、誕生日だっただろ。ずっと前から考えてたんだ。本当はこれを渡しながら気持ちを伝えるつもりだった。もし迷惑なら捨ててくれて構わないから。じゃあ――」
 先輩は言うだけ言って、呆然とする俺を残して行ってしまった。
 俺はと言えば、先輩の言葉が頭の中でグルグルと回り、言葉の意味を掴み損ねて結局、思考は堂々巡りを繰り返すばかりだった。

 しばらくして我に返った俺は慌てて部室へ行き、着替えてグラウンドへ行くと1年が準備をほぼ終えているところで、西森先輩に呼ばれて遅れた理由を聞かれた俺は、何も答えられずに思わず黙ってしまった。
 結局、なんて言い訳したのか俺は覚えてなくて、ただひたすら「すみません」と頭を下げていた記憶はあった。
 当然、練習には参加させてもらえず、俺は時間のほとんどを校舎の外周を走ることに費やし、最後にはまた靴磨きをさせられて終わった。
 終わってみればグラウンドには俺1人で、部室に行くと外に俺の着替えと荷物が出してあって、昨日みたいに持って来てくれなかったんだな、と友明と雄樹の顔を思浮かべてみる。
 2人ともどこか蔑んだような目をしてて、それは俺の妄想なわけだがでもそれが本当だったら、と思うとゾッとした。
「気合、入れ直さないとな……」
 自分を鼓舞するつもりで呟いた独り言だったが――
「そうだな。何ならオレらが手伝ってやろうか?」
後ろから声をかけられて慌てて振り返ると、2年の枡田先輩と波多先輩がいた。
「あの……」
 枡田先輩の言葉にどう返せばいいのか戸惑っていると、今度は波多先輩が噛み砕いて言う。
「気合入れ直したんだろ? だったらオレらが入れ直してやるって言ってんだ。お前は有難がって『お願いします』って言えばいいんだよ」
「……」
 尊大な態度と言葉に俺は冷静になって2人を眺めた。ニヤニヤと人を嘲るような笑みを顔に貼りつかせ、俺をじろじろと眺めまわす視線にははっきりと悪意が見て取れた。
 これは決して先輩としての責任や義務、もしくは優しさから言っていることではないということは、誰の目から見ても明らかだった。
 俺は先輩方の申し出を断るつもりで口を開きかけたが、それを遮るように言った枡田先輩の言葉に驚愕した。
「それとも間壁先輩がいいってか? 1年の癖に贅沢だよな」
 間壁先輩? なんでここで間壁先輩の名前が出るんだ?
 驚愕しつつも不思議に思っていると、枡田先輩が続けた。
「今日、1号棟で会ってただろ」
 その言葉に俺は全身の血の気が引いた。あの時、俺と間壁先輩はきわどい会話をしていたはずだ。あれを聞いて……?
「隣の校舎からだから会話は聴こえなかったが、大体はわかる。お前がしつこく先輩に言い寄って断られてたんだろ?」
「……え?」
「何か渡そうとしてつき返されてただろ。恥ずかしい奴だよな」
 遠目からはそう見えたのか。
 会話が聞かれていなかったことに安堵しつつも、まったく事実と逆に受け取られていることに戸惑う。否定するべきかとも思ったが、そうすると今度は間壁先輩が自分に言い寄っているととられかねない。
「ずっと3年の先輩に目をかけてもらっておきながら、告白するなんて恩を仇で返すようなもんだろ」
 そう、鋭く俺を睨みつけながら波多先輩が続ける。
 「目をかけてもらってる」と2年の先輩、少なくとも枡田先輩と波多先輩には思われていたんだ。2人がそう感じていたとしたら、他の先輩もそう思っていたのかも知れない。
 俺自身、そんなつもりはなかったんだが確かに、俺は3年の先輩と会話できることが嬉しくて距離を保てていなかったかも――。
「もう3年は引退したんだ。今度からはオレらがお前を可愛がってやるよ」
 そう言うと枡田先輩は何かを投げてよこした。高い乾いた音をさせてコンクリートの部室の壁に当たって落ちたそれは、部室の戸の鍵だった。
「明日の朝練は雷門の都合でなしだが、お前は来い。オレらがしごいてやるよ」
 枡田先輩は嫌悪にも似た笑みを浮かべて言うと、俺の返事を待たずに踵を返し波多先輩とともに立ち去って行った。
 またもや残された俺は鍵を拾うと、手の中のそれを見つめてひとつ大きく息を吸い込んだ。途端、やるせない気持ちが胸に広がって泣きそうになり、吐き出す息は小さく震えてしまっていた。

2015.06.20

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