冬。僕はきみの傍に、

俺の日々の煩悶[2-4]

 誕生日プレゼントに買ってあげると言われた携帯は、最新機種ではなかったが比較的新しめの機種にした。
 母さんや英二さんは新しくて人気のあるものを勧めてくれたけど、新しくて人気のあるものはそれだけ値段も高いということで、新規契約で安くなるとは言ってもさすがに値段を見ると気が引けた。
 2人からのプレゼントだから値段は気にしなくていいとも言われたが、そうかと言って初めての携帯で最新の機能を使いこなせる自信もないし、それにそれほど興味も沸かなかった。
 電話とメールが出来ればいい。
 あとはデザインの気に入るものを探して、母さんにあーだこーだ口出しされながら、約30分ほどかけてやっとで選び終えた。
 契約を済ませるとすぐに使えるというので、英二さんが運転する帰りの車の中でさっそく携帯をいじりながら、実家の電話番号と母さんの携帯のアドレスを登録した。
 そうして家に着いたころには、夕刻も間近に迫っていたので、家の中には入らないでそのまま俊也さんのマンションへ帰ることにした。
「いい? 何かあったら、ちゃんと連絡ちょうだいよ」
 車から降りて見送るつもりらしい母さんに、声をかけられながら置いていた自転車のそばまで行くと、あいつの自転車がそこにないことに気付いた。
 どこかへ出かけたのか。それなら最初からどっか行ってくれてりゃいいのに。
 母さんには適当に相槌を打ちながら、心中では勝手なことを思い、玄関先で母さんと英二さんに見送られて俺は家をあとにした。
 冬の青色が薄くなりつつある空を眺めながら、あと1時間もかけて帰らなければいけないと考えつつ、でも思いのほか実家を離れられたことに俺の心は軽くなっていた。
 実家とはいえ1年しか住んでいなかった家だし、母さんが再婚して英二さんが義理の父親になったとはいえ、そんなにすぐ慕えるわけでもなし、何と言ってもその息子が生意気で腹の立つやつで憎たらしいやつだから、それで気分が落ち着くわけがなかった。
 そんなことを考えながら自転車を走らせていると、向こうからこちら側へと走ってくる自転車に気づいて、俺はすぐに表情を険しくした。その自転車に見覚えがあったからだ。いや、自転車に乗ってるでかいヤツに、だ。
 年下のくせに180センチ越す身長と逞しい体躯。
「よう、誕生日パーティは終わったのか? お兄さん」
 そして、この常に人を挑発する口調、義弟である橋谷鋭だ。
「お前……」
 互いに向かい合うような形で自転車を止め睨み合い、俺も何か言い返してやろうと口を開いたが、さっき実家の2階で見た光景を思い出して、咄嗟に言葉が出てこなかった。
 そんな俺の様子に気を良くしてか、あいつが続ける。
「その年で誕生日パーティとか、マジありえねぇよな、実際、恥ずかしくねぇの?」
 馬鹿にするような嘲笑を浮かべ、向こうが長身だからというだけでなく、本気で俺を見下しているのがわかった。
「んで? プレゼントは何をもらったんだ? サッカーボールか?」
 だが、俺はひとまずそれを無視し、
「お前、いつもあんなことしてんのか?」
自分でも唐突だなと思えるような質問をした。
 「あんなこと」とはつまり、こいつが自分の部屋で友人と耽っていた行為のことだ。
 本当のところこんなこと、心底訊きたいと思えるようなものじゃないが、つい思い出してしまった光景が頭から離れなくて、気が付いたらそんな疑問が口をついて出ていた。
 俺の質問が何を指しているのか分からなかったのか、一瞬、あいつは訝しむような表情をしたが、すぐにまた表情を戻すと平然と頷いてみせた。
「ああ、あれか。やってんぜ」
 さも当然だとでも言うように頷いて、そしてその視線がさらに俺を蔑むように強くなった。
「あんただって、やってんだろ? 従兄の、俊也とか言ったか? そいつと」
「なに?」
「同棲してんだもんな、毎晩のように盛ってたりして」
「は……?」
 こいつの言ってることを、俺はすぐに理解することができなかった。
 理解できなかったのは、「やった」とか「盛ってる」とか、そういう言葉の意味がわからなかったんじゃなくて、俺と俊也さんとが“そういうことをする”という発想自体が、俺にとっては意味不明だったからだ。
 つまり、俺は今までそんなこと考えたこともなかったんだ。
 だが、ゆっくりとあいつの言うことを理解しはじめると同時に、俺の中で沸々と怒りが沸き起こり、顔が熱くなるのが自分でもわかった。
「お前っ、いい加減なこと言ってんじゃねーぞ!」
 屋外ということもあり怒鳴るのは我慢し、凄みをきかせるように睨みつけたが、あいつは意に介した風もなく鼻で笑ってみせた。
「無理すんなよ。毎晩やみつきで、だから帰りたくねぇんだろ?」
 その言葉にカッと頭に来た俺は、自転車ごと突進し手を伸ばして胸倉を掴んだ。
「俺と俊也さんはそんなんじゃねぇっ!」
 思わず声を荒げてしまい、タイミング悪く通りかかる通行人の視線を気にしてしまったが、胸倉を掴む手は緩めなかった。
 だが、胸倉を掴まれた本人は、掴まれた瞬間だけ不快な表情を見せたが、すぐにまた不敵な笑みを浮かべると、今度は驚愕するようなことを言ってみせた。
「隠すことないだろ。俊也ってやつがホモだってことは、お前の母親も知ってるよ」
「母さんが……?」
 俊也さんが同性愛者だと言うことを母さんが知ってるということにも驚いたが、母さんが知っているということをこいつが知っているということにも驚いて、思わず胸倉を掴んでいた手が緩んでしまった。
 その隙をつかれて掴んでいた手を振りほどかれると、ついでとばかりに肩を突き飛ばされて、俺は自転車とともに派手な音を立てて地面に倒れた。
 何を、と片足を自転車に挟まれたまま半身を起こした格好で睨み上げると、さっきよりもさらに上からあいつが見下していた。
「そんなムキになるなよ、お義兄さん。でも、適当に言っただけだったんだが、マジだったとはね」
「なっ……!」
 その言葉を聞いてやっと俺は騙されたことに気づいた。
 こいつは別に俊也さんが同性愛者だと知らなかったんだろうし、それを母さんが知ってるというのも嘘だったんだろう。
 「母親も知ってる」と言って鎌をかけて俺の反応を窺ったんだ。
 こいつはどこまで人をおちょくれば気がすむんだ!
 頭に来て倒れた自転車はそのままに立ち上がると、今度こそ殴ろうと手を伸ばしたら、その俺の鼻先に指を突きつけてあいつが言った。
「いいのか? 手ぇ出したらホントにバラすぜ」
「っ!」
 俺は掴みかけた手をそのままに固まってしまった。それにつられて返す言葉も出てこない。
 そんな俺の様子を見てあいつが笑った。
「あんたの弱みを握れて嬉しいよ。これから仲良くしてくれよな」
 胡散臭いセリフを吐いて、あいつはさっさと自転車を走らせた。
 無駄だとは思いつつ「待て!」と呼び止めたが、聞く耳を持つつもりもないらしく、振り返ることもなく行ってしまった。
「くそっ!」
 遠くの角を曲がってその姿が消えるまで呆然と見送ってしまったが、不審な視線を向けながら通り過ぎる通行人が視界に入り、それで倒れた自転車が通行の邪魔になっているのにやっと気づいた。
 慌ててカゴから落ちた鞄をもどしながら自転車を立たせると、俺は絶望的な気持ちを抱えつつ、再び俊也さんのマンションへと自転車を走らせた。

 1時間かけてマンションに着いて玄関を開けるとその音が聴こえたのか、俊也さんが自分の部屋から出てきて迎えてくれた。
「おかえり、寒そうだな」
 冷たい風を受けて赤くなってるんだろう、俺の顔を見て俊也さんが少し笑いながらそう言った。
「ただいま。うー、暖かい」
 リビングへ向かいながらジャケットを脱ぐと、さっきまで暖房がついていたらしい、部屋の暖かさに反応してか頬や手の先がジンジンと熱く痺れる。
「久しぶりの実家はどうだった」
 俊也さんはきっとそう聞いてくるだろうなと思っていたから、ソファに腰掛けつつとくに焦ることもなく答えた。
「母さんの料理の腕が上がってた」
 それだけを言ってあとは適当に濁すと、それ以上は聞かれないように買ってもらったばかりの携帯を見せた。
「ユキもついに携帯を持つようになったか。僕が初めて持ったのは大学3年だったかな」
 どこか感慨深げに言う俊也さんの様子に、俺は思わず笑ってしまった。
「なに?」
「だって、俊也さんの言い方がさ――」
 年寄りくさい、なんて言っちゃったら傷つくかなと、思わずそこで止めてはみたけど、十分に俺の考えは伝わってるようだ。
「どうせ若年寄だよ」
 やっぱりちょっと傷ついたような、落ち込んだ表情でそう言うから、俺はまた噴出してしまった。
「だけど、僕が高校のころにも携帯を持ってる奴は確かにいたけど、今より全然少なかったと思うよ。携帯持ち込み禁止っていう高校がほとんどだったと思うし」
「へぇ、そうなんだ」
 言われてみると学校の奴等は普通に携帯を使ってたな。さすがに授業中は使用禁止だけど。
 俺が携帯をいじりながら返事をすると、自分の昔話には興味ないんだなとかきっと思ったに違いない俊也さんが、
「現代っ子には言ってもピンと来ないよな」
そう言って俺の頭に手をやって苦笑した。
 それから携帯の機能について話したり、俊也さんの携帯のアドレスも教えてもらって登録したり、携帯の取り扱い説明書を細かく読んでみたり――で、リビングで携帯をいじっていたら日もすっかり暮れてしまった。
 自室に戻っていた俊也さんが部屋から出てくる気配を感じて、俺はやっと夕飯を作らなきゃと立ち上がった。
 キッチンを見ると、今朝とほとんど変わらない様子に俺はあれ? と思って、再びリビングに現れた俊也さんに「昼は何食べた?」と聞くと、俊也さんは少し気まずそうに「インスタント」と言った。
 確かに非常食用みたいな感じでインスタントは買い置きしてたけど……。
「じゃあ、腹減ってるんじゃ……」
「うん、減ってる」
 まるで真剣な顔でうなずく俊也さんの様子に、俺は思わず笑ってしまいそうになりながら、じゃあ急いで作らなきゃなと腕まくりした。
 俊也さんが腹減ってるっていうんで、つい勢い込んで多めに作った料理は、だが俺にとっては少々多過ぎになってしまった。
 実のところ昼間のご馳走とケーキがまだ腹に残っていて、今の俺にはかなりキツかったのだ。
 食後、満腹な状態では身動きするのも辛く、リビングの1人掛け用のソファに、膝を抱えて小さく丸まって座りながら、テレビ画面に映し出されているそれを俺は無心で眺めていた。
 ただ、満腹のせいで眠気が出てきたのか、テレビ画面を眺めてはいても見てはいなかった。だから俊也さんに――
「まるで目を開けたまま寝てるみたいだな」
と言われて、自分が傍目からちょっと異様に見えることに初めて気づいた。
「……そんな不気味だった?」
 久しぶりに食後の片付けをしてくれた俊也さんが、片手にコーヒーを持って2人掛け用のソファーに座って、俺もそれに合わせて膝を抱えるのをやめると座りなおした。
 コーヒーは俺の分も入れようかと聞いてくれたけど、俺の胃袋にはその余裕も無かったから断った。
「まぁな。ところで、鋭くんには会ったのか?」
 俊也さんの口から唐突とも思えるタイミングあいつの名前が出てきて、俺は思わず固まってしまった。
 あいつの名前が出た瞬間、それだけでもびくついてしまいそうになるのに、体中の血が一気に沸いてすぐに引くような、妙な感覚がして余計に焦った。
 そんな風に過剰反応してしまうのは、あいつに言われた言葉を思い出してしまったからだ。
 でも、
「なんで……」
 今そんな話を――?
「帰って来てからの様子が少しおかしかったから。もしかしたら会ったのかなと思ってね」
 なるべく悟られないようにしていたつもりなのに。
 俺は頭の隅に追いやろうとしていた、あいつの言葉を脳裏によみがえらせた。
『あんただって、やってんだろ? 従兄の、俊也とか言ったか? そいつと』
『同棲してんだもんな、毎晩のように盛ってたりして』
『無理すんなよ。毎晩やみつきで、だから帰りたくねぇんだろ?』
 俺にとっても、何より俊也さんにとっても侮辱するようなことを、あいつは言った。
 そして、俺の不注意で俊也さんが同性愛者だということをあいつに知られてしまった。
 罠にはめられたことが悔しいというのもあるが、それよりも俊也さんを目の前にすると罪悪感でいっぱいになる。
 もし、あいつがそのことを誰かに言ってしまったらどうしよう。
 俊也さんの家族はそのことを知ってるって聞いたけど、会社や周囲には秘密にしてるはずだし。
 いや、あいつはそれを弱みとして使おうとしてるようだから、そう軽々しくバラすわけないとは思うけど……。
 違う違う。気にするのはそこじゃなくて、俺のせいで俊也さんのことがバレたってことが俺には――
「ユキ?」
 ハッとして視線を上げると、真っ直ぐに俺を見つめてくる俊也さんと視線が合った。
 内心を探られるような気がして俺は、慌てて視線を外すと立ち上がった。
「風呂の用意してくる」
 正直まだ動きたくなかったが、あいつに俊也さんのことを知られてしまったということを思い出すと居た堪れなくて、俺は咄嗟にそう言うと風呂場に向かった。
 本当なら言うべきかも知れない……いや、言うべきなんだろう。
 だけど俺には、どう切り出したらいいのか分からなかった。

2010.04.21

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