冬。僕はきみの傍に、

俺の日々の煩悶[2-2]

 「上がるなよ」と言われたが、あいつの命令を律儀に守ってやる理由はこれっぽっちもなかった。母さんには「もう料理ができるわよ」と、やんわり呼び止められたが「少しだけ」と言って2階へ上がった。
 階段を上がると折り返す形で廊下があり、その突き当たりに俺の部屋の扉がある。突き当たると左右にも少し廊下が伸びて、右側突き当たりには2階用のトイレがあり、左には俺の部屋の扉と並んで、物置を挟みあいつの部屋の扉がある。
 散らかってる惨状を覚悟して俺は自分の部屋の扉を開けると、思ったとおり床には漫画や雑誌が散乱し、掃除もしていないのか、あるいは義弟にさせてもらえないのか、フローリングの床が埃で白くなっているところもあった。
 入って右の壁際に俺が買ってもらった背の高い本棚があるのだが、それがもうひとつ同じくらいの大きさの本棚が隣に増えて、よくよく見れば並べられているのはすべて漫画だった。
 だが、ちょっと待てと。俺の本はどこへ行ったと部屋中を探すと、空になったクローゼットにすべて押し込まれていた。
 まだ捨てられていないだけマシかとも思ったが、ぞんざいな扱いに腹立たしくなる。
 さらに部屋の隅には、父親にでも買ってもらったのか大きめのテレビと、流行のゲームが無造作に床に置かれている。
 今は俊也さんの部屋に居候中でテレビゲームなんて出来なくて、俺だって趣味にしていたゲームをこいつは俺の部屋で悠々自適にプレイしまくってるのかと思うと、憎しみさえ湧いてくる。
 でも、かといってあいつに対して羨ましいなんていう感情を持ちたくなくて、ゲームの方は無視すると本棚をもう一度眺めてみる。
 あんまり漫画は読まないんで詳しくはないけど、そんな俺でも知ってるような人気どころの少年漫画が並び、あるいはドラマ化や映画化になったという青年漫画が並んでいた。
 そんな中で並べた本の上に空いたスペースに、横向きにしかも背表紙が見えないようにして置かれた漫画は、どこからどうやって調達したのか成人指定のエロ漫画だった。
 言い訳すれば俺も年頃だから、ついそれに手が伸びてパラパラと眺めてみるが、エロいなと当たり前の感想を持ちつつも、思ったほど興味はそそられなかった。
 人のプライベートをこれ以上詮索するのもどうかと思い、漫画を元に戻して部屋の出口へ向かったが、そういえばここは俺の部屋だということを思い出して、なんで俺が遠慮しなきゃならないんだと憤りを覚えた。
 しかし、俺があいつに対して抱いている怒りは、俺に対する態度が到底年上に対するようなものじゃないとか、どっちにしたって酷すぎるだろとか、そういうものだけじゃなかった。
 母さんが再婚してこの家で4人一緒に暮らすようになったが、それからすぐにあいつが本当に最低な奴なんだということが分かった。
 俺に対する態度は俺が我慢すればいいだけだが、あいつは母さんに対しても普通じゃ有り得ない態度を取った。
 思春期の子供が親に対して反発するとか、そんな類のものじゃない。
 何の躊躇いもなく「おばさん」と呼び、それだけならまだしも時には「おい」と呼びつけたりする。あるいは、深夜も近くなって菓子が食べたいと言ってみたり、逆に母さんが気を利かせて買ってきたものを目の前でごみ箱に捨ててみたり、あいつの気に入らないことをすると平気で怒鳴ったりもした。
 もちろん英二さんの居ないところでだ。
 もしかしてあいつはファザコンで、父親を取られたことに嫉妬しているのかとも思ったが、いい加減腹に据えかねて母さんも英二さんもいないところで俺が注意すると、返って来た答えは――
「あんたマザコン? 気持ちわり。あの人が言ったんだぜ、何でも言ってくれって。でもさぁ、本当の母親だと思ってくれって言われたけど、バカじゃねーのって思うね。オレ嫌いなんだよそーいうの。召使だと思ってくれって言われたら嬉しいけど、っつーかそう思ってるし」
 聞いた途端、かっと頭に来て手が出そうになったが、瞬間、頭の中にいろんなことが過ぎってついに動くことができず、そんな俺を見てあいつは鼻で笑った。
 初対面の印象も最悪なら、一緒に暮らし、話してみた印象もこの上なく最悪な奴だった。
 あまりにも頭に来て母さんにもそれとなく言ったてみたのだが、甘えてくれてるんだと思っていると、かなり好意的に受け取っているようで、それ以上俺からは何も言えなくなった。
 ともかく、そういうこともあって俺は同居してからずっと、毎日のように強いストレスを感じていた。
 だから、俊也さんの「一緒に住むかい?」という申し出に、一も二もなく頷いたのだった。

 1階に下りると、すでにテーブルに料理が並べられていて、母さんの料理のレパートリーが増えてるというか、腕が上がったらしいということが一見して分かった。
 2年前まで母子家庭だったから、祖母ちゃんが時々家に来てくれてはいたが、俺も料理をすることが多いし今では毎日してるから、男のくせに料理についてはそこそこ知識があったりする。
 だから、今目の前に並んでる料理が凝ったものだということはすぐに分かった。
「さ、座って。たくさん食べてよ、かずくん」
 俺が2階から降りてきたのに気づいて、母さんがキッチンから声をかけてきた。ついでにリビングにいる英二さんも呼ぶ。
 時計を見ればまだ11時すぎで、昼食には早かったが1時間も自転車で走って来たからか、匂いを嗅いだとたん空腹を覚えて、俺はさっそく「いただきます」と箸に手をかけた。
 だがその直後、「ハッピバースデートゥーユー」と歌いながら母さんがその手に、用意しておいていたらしい大きなケーキを持って現れ、しかも英二さんまで一緒になって歌いだし、俺はこの上ない恥ずかしさに顔どころか体中から汗が噴出した。
 ケーキの上にはきちんとロウソクが16本並べられ、まさかと思うまでもなく歌が終わると「ほら、消して消して」と母さんにせがまれる始末で、「いいよ、恥ずかしい」と断っても聞く耳は持っていないようだった。
「ロウソクが垂れちゃうでしょ、ほら早く」
 と、更に急かされて仕方なく一息に吹き消して、わっと拍手が沸いたところで俺は脱力してがっくりと項垂れた。
 脳裏にはついさっきあいつに言われた『その年で? 恥ずかしくない?』という言葉が過ぎり、つくづくあいつがここに居なくて良かったと思った。言われなくたってこんなこと、恥ずかしすぎて友明や雄樹にだって知られたくない。
 それからやっと食事にありつくと、母さんに訊かれるままこの10ヶ月のことを話した。成績は良い位置をキープできてるとか、サッカー部も尊敬してた先輩たちとやれて楽しかったとか、だけど練習を頑張ってるわりに上達はしないんだとか――。そう言うと意外にも母さんが部活を辞めるつもりはないのかと訊いてきて驚いた。
「朝が早かったり、休日も出なくちゃいけなかったりで大変でしょう? 出来れば大学にも行きたいって、かずくん言ってたじゃない。勉強に集中できるように、忙しくない部活に変えたりはしないの?」
 片親で仕事の忙しい母さんに、子供心に迷惑はかけまいと学校で問題は起こさないようにしたり、その延長線上で勉強も頑張っていた俺は、成績もそこそこに良かったからそこそこに偏差値の高い今の高校に合格することが出来た。
 せっかく曲がりなりにも進学校へ行けたのだから、金銭的な問題さえなかったら大学にも行きたいと思っている。
 ただ、将来の夢というか目標っていうのが定まっていないんだけど。
 母さんがそう言うということは大学に行ってもいいということで、それどころか大学へ進むことを望んでいるのかと思ったのだが、実はそうではないことは母さんの次の言葉で分かった。
「忙しくない部活に入ったら朝もゆっくり出来るし、帰りもそんなに遅くなることないでしょうし、そうしたらここからでも十分通えるでしょう?」
 結局、行き着く先はそこだったかと思ったが、母さんが強引にでも俺を家に呼んだのは、その話があったからだということは初めから分かっていることだった。
 しかも、確かに俊也さんの所へ引っ越したいと言った表向きの理由は、高校が近いからだということと、部活に入ったらきっと朝が早いだろうから、家が遠いと大変だからだということにしていた。さらに、高校に近ければ登下校に時間が取られず、その分を勉強の時間に回せるから、も付け加えたはずだ。
 それを母さんはしっかり覚えていて、俺をどうやって家に戻そうとかと考えた末に、俺が家を出る理由を思い出して、じゃあ部活を辞めたら帰ってくれるんじゃないだろうかと考えたようだった。
 俺はしばらく沈黙しながら、これをどうやって切り抜けようかと頭を捻った。
 まさか英二さんを前にして、あいつと一緒にいるのが嫌なんだよとも言えない。
 俺が沈黙しているのをどう捕らえたのかは分からないが、母さんがさらに畳み掛けるように続ける。
「この間も倒れて俊也くんに迷惑かけたでしょ。俊也くんは滅多にあることじゃないからって言ってくれてるけど、今後またそういうことがないとも限らないし、病気で倒れたときに母さんがそばに居られないのも辛いと思うの」
 その言葉はグサッと胸に突き刺さって、咄嗟には返す言葉も見つからない。
 親だったらそう思うのはきっと当然なんだろうし、俺だって今まで一所懸命育ててくれた母さんに、そんな風に心配させてしまっているのは辛い。
 やっぱり、ここまで言われたら帰るのが本当なんだろうけど……。
 ちょうどもうすぐ1年でキリがいいし、2年になる前の春休みくらいに帰るくらいがいいのかも知れない。
 母さんの強い訴えに、そう思って口を開きかけたその時、玄関が開いた音がして誰かが――というかあいつが帰って来たらしい。
 すぐにリビングの扉が開いてあいつが入って来て、思わず振り返れば義弟と、その義弟の後ろから見覚えのある少年も現れた。まだ俺がここに住んでいたとき、何度か会ったことがあるあいつの親友らしい、久臣だ。
 親友と言ってもあいつみたいに縦にも横にも大きいなんてことはなく、ごく平均的な中学3年生らしい体格だ。それは態度も同じで、俺や家族がいるのに気づくと軽く会釈をし「おじゃまします」と言った。
「あら、いらっしゃい」
 慌てて母さんが迎えるが、それを遮るようにあいつが「食べ物上に持って来て」と言い、咎めるように英二さんが名前を呼ぶもやっぱりそれすら無視して、さっさと2階へ行ってしまった。
 あいつの代わりに英二さんが母さんに「ごめん」と謝るが、母さんは笑って「いいのよ」と言って、2階に食事を運ぶため席を立った。
 母さんが少しでも困ったり悲しんだりすれば、俺だって黙ってないのにと思いながら、やっぱりこんな気持ちで一緒になんか暮らせないと俺は改めて確信した。

2010.01.26

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