冬。僕はきみの傍に、

俺の日々の煩悶[2-13]

 放課後、俺は言われた通り自転車置き場で西森先輩が来るのを待っていた。
 しかし、待てど暮らせど西森先輩はやってこない。もしかして忘れられているのかと心配になった頃、やっと西森先輩とそれから八坂先輩が現れた。
 先輩方の姿を見てやっと「先輩を待つ」という緊張から解放されたが、そこで初めて俺は送るといってどうやって送るのかという疑問が湧いた。
 学校に自転車を置いたまま帰ったんでは、俺が次の日困るわけで。
 すると、俺のそんな考えを読んだわけではないだろうが、あいさつもそこそこに西森先輩が「お前の自転車で送る」と言い出した。
「お前の自転車は? おれが前に乗る。お前は後ろに乗れ」
「帰りはどうするんですか?」
「帰りは八坂のに乗る」
 なるほど、行きは俺の自転車で、帰りは八坂先輩の自転車で2人乗りをするらしい。
 俺は自分の自転車を指して(すでに荷物はカゴに入ってる)、言われるまま鍵を渡し、先輩が前に乗ったあとで俺も荷台に跨った。
「お前家はどこだ」
 自転車を漕ぎながら訊いてくる西森先輩の問いに、詳しい住所を伝えると「あぁ」という呟きが返って来た。どうやらある程度この辺りの地理を把握しているらしい。
「あの辺り、たしか公園があったな」
 西森先輩の言う通り、俊也さんのマンションの近くには大きめの公園があった。遊具は少ないが木々が周囲を囲い、遊歩道があってそこをウォーキングのコースにする人がいたり、犬の散歩をしている人の姿をよく見かける。また、球技ができる程度の広場もあり、そこで時折子供が野球やらサッカーやらをしている。
「そこへ行く。話がある」
 やっぱり、と思いながら俺はどんな話を聞かされるのかと、途端、緊張に身を硬くした。聞きたくないという気持ちも僅かにあるが、それよりも聞きたいという気持ちの方が強く、また「聞かない」という選択肢は俺にはないので神妙に「はい」と返した。
 あとは先輩方も俺も、公園に着くまでずっと黙っている。
 聞かされるのは枡田先輩たちのことだろうか。それとも、堂島の動機のことだろうか。あるいはその両方なんだろうか。もしかしたら、こんな問題を起こした俺に対して退部しろと言われるかも知れない。
 いや、でも発端は俺の言動だとしても実行したのは枡田先輩たちと堂島だ。俺だけがってことはないだろうし、俺は手を出してないんだから殴られて足踏まれた上に退部なんて――。
 そんな益体もないことを考えてるうちに公園に着いた。西側からの出入り口を入ると右側に幾つか遊具があり、その近くに屋根のある休憩スペースがあった。
 小学校低学年くらいの子供が3人、遊具の近くで遊んでいたが他、大人の姿は見当たらない。
 公園に入るときに自転車を降りた先輩は、無言でその東屋へ自転車を押しながら向かった。
 俺も右足を庇いながら後に続く。東屋の近くに自転車を止めて先輩方が東側の木製ベンチに座り、俺は向かい合うように西側のベンチに座った。
 この東屋にはベンチの間にテーブルはなく、間に何も挟まず先輩方と対面することにさらに緊張する。
 何を言われるのだろうと身構えていると、開口一番西森先輩が発した言葉に俺はまず驚いた。
「堂島が部を辞めた」
「えっ!?」
 堂島が退部? それはつまり、問題の責任を取って? それとも逃げるために?
 俺は今朝、廊下で見た堂島の姿を思い出した。蒼白の顔に怯えの表情を見せた堂島。あんなとんでもない嘘をつくようには思えなかった気弱そうな奴だったが、それを枡田先輩たちに吹き込んで俺にけしかけた堂島。
 あの様子なら「責任を取って」ではなく「逃げるため」に部を辞めるんだろう。こんな事態になってあっさりと逃げるなんて、そんなことが許されるのか――!
 俺の怒気を感じたのか八坂先輩が淡々と言葉を継ぐ。
「もともと辞めるつもりだった、と本人は言っていたよ。サッカーは好きだったけど運動が苦手だったからって」
 続けて西森先輩が鬱陶しげに言う。
「あいつ捕まえるのに苦労してな。昼休みに話をしようと教室に行ったんだが、俺の姿を見た瞬間逃げて行きやがって――。で、放課後こいつと挟み撃ちしてやっと、だ」
 俺が今朝、追いかけたときもすぐに逃げやがったが、先輩に対してもそんな行動をとるとは――どこまでも臆病な奴め。
「それで、話を聞いたんですか?」
 俺は何よりもそれが聞きたかった。堂島の動機が聞きたかった。
 西森先輩は半ば呆れたような顔をして頷いた。
「聞いた。実にくだらねぇ……八坂、頼む」
 くだらなすぎて説明する気も起きないということだろうか。任された八坂先輩に視線を向けると、こちらも困ったような何とも言えない表情をしている。
「堂島があんな嘘をついた理由だけど、端的に言えば枡田くんや波多くんと同じ、ってことだろうね」
 枡田先輩たちと同じ……? 3年の先輩に目をかけてもらったとか、気に入られていた(ように見えた)ことが妬ましくて、とかそういうことだろうか。
「あと、橋谷にばかり構う一部の先輩への怒り、とか」
 確かに、俺は間壁先輩に憧れていたから、間壁先輩と話できることが嬉しくてチャンスは逃さないようにしてたし、間壁先輩とその周りの3年の先輩とは他の先輩方よりも親しくしていたけど……。
 それに、いつからかは聞いていないけども間壁先輩は俺のことを――好き、で――だから間壁先輩もよく俺に話しかけてきてたのかも……。
 それを見て堂島は嫉妬したってことか? 先輩が後輩を贔屓している、と。
「……そんなに俺は、その、浮いてましたか?」
 贔屓という言葉は使いたくなくて、言葉を選んでそう訊ねたら、目の前の先輩方は記憶を遡っているのかしばし考えてから答えた。
「うーん、まぁ仲がいいなぁとは思ったよ。でも相性ってあるだろ。学年が同じでも違っても仲いいやつはいいし、悪いやつは悪い、だろ?」
「まぁ、浮いてるっつーより、お前の場合は浮かれてたんだろ。そんな感じだ」
 浮ついてた自分が恥ずかしくて俺は思わず俯いてしまった。周りから見てもそれは分かったんだと思うと居たたまれない。
 俯いてしまった俺に先輩は少々口調を改めて続けた。
「だが、だからと言って嘘ついたり殴ったりしていいっつー正当な理由にはならねぇよ」
「うん、妬む気持ちはわかっても、先輩をも巻き込むような嘘や、尊厳や名誉に関わる嘘をつくなんて、僕も許されることじゃないと思ってる」
 俺は思わず顔を上げて先輩方を見つめた。
 西森先輩と八坂先輩の言葉に、俺は胸のすく思いと同時にそれ以上の安堵感を覚え、その瞬間、何か重石のようなものが取れたような感じがした。それで初めて自分がひどく何かを気負ってたことに気づいた。
 そして、先輩方の正誤の判断と公正さに感謝した。
「ま、お前もここ最近、気が抜けてっからそれはムカついてたけどな。3年が引退した途端、だ」
「あ、それは……その――」
 西森先輩の指摘に俺は言い訳のしようもなかった。言い訳をしようとしたとしても、実家の問題を話さなくてはいけなくなる。
 俺がどう言い訳しようかと焦っていると先輩がそれを遮って続けた。
「だが、部活以外でお前なりに問題抱えてるって話を聞かされてな――」
「え……誰にですか?」
「坂牧と今井だ」
 つまり、友明と雄樹が西森先輩に対して俺のフォローをしてくれていたらしい。俺は2人の友情にも感謝した。しかし、
「坂牧はともかく、今井の言ってることはよく分からんかったがな。主婦がどうとか新妻がどうとか――」
「――」
 前言撤回。雄樹は明日速攻で絞める。
 俺の表情の変化に西森先輩が初めて、皮肉とか嘲笑ではない笑みを見せた。
「必死に言ってくるんで誰でもそういうことはあるかと、様子を見ようとしてたところだった」
 その矢先の今朝だったんだろう。俺は昨日、枡田先輩たちに「しごいてやる」と言われてすぐに、友明たちや先輩方に相談しなかったことを悔いた。
 もし相談していたら、これほど大きな問題にはならなかったかも知れないのに、と。
「橋谷、今回のこと坂牧たちが聞いてくると思うけど、話をするときは充分注意してよ」
 一瞬、「話すな」と言われるかと思ったが、意外な言葉に俺は少し驚いた。それが表情で伝わったらしく八坂先輩が続ける。
「橋谷は坂牧たちと中学が一緒で特に親しいだろ。だから、まったく話さないわけにはいかないと思う。でも、広まらないように注意して欲しいんだ」
 俺が神妙な顔で頷くと、今度は西森先輩が続ける。
「とくに堂島の嘘は言うな。枡田や波多にも口外しないよう念押ししたし、堂島にも噂を広めたらただじゃおかねぇって脅しかけといた。ま、堂島は3年全員の進路がお前の嘘のせいで全滅するぞって言ったら失神しそうになってたから大丈夫だろ」
「堂島……」
「失神するくらいなら、あんな嘘つかなきゃいいのにね。妬み嫉みでおかしくなっちゃったのかな」
「お前も――お前自身言いたくねぇってのはあるだろうが、失言には気を付けろよ。とくに堂島を見て頭に血が上ったときとかな」
 西森先輩に今朝のことを言われた気がして、俺は少しだけ焦った。確かに今朝は我を忘れてたかも知れない。気を付けなければ。
「顧問にはお前と枡田たちがちょっとした言い争いで乱闘になりかけた、ってことにしてる。その時、お前はコケて足を捻って床に顔をぶつけた、と。殴られて踏まれたお前は納得できねーかも知れねぇが、堂島の嘘が広まらないためにはそうするしかねぇと、おれは思ってる」
「はい――。俺も、頭に血が上って枡田先輩を煽ってしまったので、納得できないとは思ってません」
 それは俺の本心だ。堂島に唆されたとはいえ、元は俺の言動が原因だったんだろう。枡田先輩たちに「しごいてやる」と言われたとき誰かに相談するなり、部室で先輩方に詰め寄られたときにもっと冷静に対処するなり、俺にも反省するところはあるんだ。
 だから、殴られたり足を踏まれたりしたことを表面上無かったことにすることは、別段何も思わない。
 ただ、枡田先輩と俺の間にあったことは事実だから、俺はもう枡田先輩たちに対して油断することはないけども。
「そうか。一応言っとくが、次から言い返すにしても相手と状況を見ろよ」
「橋谷は冷静そうに見えて、意外に喧嘩早そうだね。ちょっと意外だったよ」
 西森先輩のダメ出しと八坂先輩の指摘に俺は顔を熱くした。未熟な部分を晒したようで恥ずかしくて情けなかった。
「それがいつもプレーに出てくれりゃいいんだけどな」
 半ば呆れたような西森先輩の言葉に、俺はもっと居たたまれなくて俯いてしまった。
 先輩方との話は終わって、西森先輩は八坂先輩の自転車を押しながら先を行き、俺は自分の自転車を押しながら公園の出口に向かう。
 手持ち無沙汰の八坂先輩が俺に並んで歩くと、「枡田くんのことだけど」と声を抑えて話し始めた。
「僕が『あのこと知ってるぞ』って脅しかけといたから、もう変なことはしてこないと思うけど、もしまた何か言ってきたら僕に相談して」
 俺は半ば驚いて八坂先輩の顔をマジマジと見た。
「枡田くんたちのやり方は腹立つし、先輩たちがずっと築き上げてきたサッカー部が、こんな事で傷つくのは僕も嫌だしね」
 あまり西森先輩以外の人と深く関わろうとしない、他に興味のないように見えた八坂先輩も、そんな風に思うこともあるんだなと改めて知った。
 公園の前で俺は先輩たちを見送って、自転車に跨ると何とか片足で漕いでマンションまで辿り着いた。
 部活の問題は先輩方の力を借りて、何とか解決の方向に向かってると思う。
 そうすると今度は俺自身の問題が浮上して、俺はエレベーターに乗り込みながら鬱々とした気持ちが湧いてくるのを感じた。
 俺は俊也さんにどう話を切り出そうかと、俊也さんが帰ってくるまでの間ずっと頭を悩ませ続けた。

2015.06.23

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