冬。僕はきみの傍に、

俺の日々の煩悶[1-7]

 朝、いつものように目覚まし時計に起こされ、いつもの仕草で目覚まし時計を手繰り寄せるとアラームとそれからスヌーズも止め、ついでに念のため時間を確認するのが毎朝の俺の習慣だった。
 そうして時計を元に戻してベッドに上半身を起こし、布団から片足を出したところでふと違和感を覚えて俺はもう一度時間を確認した。
 目覚まし時計の針は午前5時30分を指している。
 これはサッカー部の朝練がある日の少し早めの起床時間であり、今日は珍しく朝練がない日で、本当ならあと1時間半は寝れたわけで、つまるところ目覚まし時計の時間設定ミスだった。
 俺はなんだか損をしたような気分で、もう一度ベッドに倒れこむと布団の中に潜り込んだ。
 だけど、まだ寝起きのため頭は重いがうっかり目だけは覚めてしまって、布団に戻ったからといってまたすぐに眠りにつけそうにはなかった。でも当然早々に起きるつもりも俺にはなくて、そうして布団の中で勝手に巡り始めた思考の行き着いた先は――間壁先輩のことだった。
 初めは部活の朝練のことを考えていたはずだった。
 本当に今日は朝練はないんだったよな、と先日の練習で顧問が言っていたことを思い出し、でも明日からは朝練が始まるんだ、しんどいなーとか思って、そこでハタと「そういえば間壁先輩は来るんだろうか」と、そんな疑問符が浮かんだ。
 疑問符を浮かべてすぐに、いやそれは無いだろうと自分で即答しておいて、そしてなんでそんなことを思ったのかと考えるまでもなく、昨日、間壁先輩に告白をされてしまったという気まずさからそんなことを思ったのだった。
 もし顔を合わせてしまったら――と考えると非常に気まずいんだ、俺は。
 でも大会は終わったし、3年はこれから受験なんかもあるだろうから、来るなら引退式のある当日だけだろう。
 自分自身にそう言い聞かせて少しだけホッとして、あ、だから先輩も昨日告白したんだろうか、と考えてみたりして。
 引退式の日以外ほとんど会わなくなるから、気まずくなっても大丈夫なように昨日告白したんだろうか……?
――いや、違うよな……たぶん。
 俺は思考につられて先輩に告白されたときのことを思い出していた。
 告白してきたあの時、その少し前にはちょっとだけ泣いたりしていたけど、その後の先輩の様子はとても落ち着いていたように見えた。ただ、それでもあれは告白をしようと計画を立てて実行したものではないように俺は感じた。
 そもそも、間壁先輩がトイレに行ったまま長い間帰ってこなかったから、木原先輩に「捜して来い」と言われて俺が捜しに行ったんだ。そして間壁先輩は大学に行ってもサッカーを続けられるかどうかで悩んでいて、そこに俺が行って励ましたら感極まって――って雰囲気だったものな。
「――」
 俺は内心で呟いた自分の言葉に、ふと引っかかりを感じて思わず閉じていた目を開くと、未だ暗い部屋の天井を見つめながら、引っかかった言葉をまた心中で繰り返した。
 “感極まって”?
 そう言ってしまうと、気持ちを長いこと胸に秘めていたような印象を俺は感じてしまったのだけど――そうだ、「好き」だなんて気持ちがその場ですぐに出来上がるわけはない。間壁先輩はいつからか、俺を「好き」だと思い始めるようになったんだろうけど―― 一体いつから……?
 高校に入学し、部活見学するまでもなくサッカー部に即入部し、そうして憧れである間壁先輩と出会ったころからのことを、俺はもう一度目を閉じてから思い返した。

 思い返しながら俺は二度寝をしてしまっていたらしかった。
 目は冴えてたつもりだったから、もう一度眠ることなんて無理だと思っていたのに、案外あっさりと俺の意識は夢の中に戻っていた。
 二度寝から再び俺を起こしたのは、目覚まし時計ではなく部屋の戸をノックする音と、その向こうから聴こえる俊也さんの声だった。
「ユキ、今日から学校だろう? 時間は大丈夫か?」
 俊也さんの言葉で俺の意識は一気に現実へ引き戻され、慌てて起き上がると目覚まし時計を見、そして針が7時半を指しているのに血の気が引いた。
 学校の朝のホームルームには間に合う時間だけど、朝食を作るためには完璧に寝坊だった。
「ユキ?」
 もう一度繰り返されるノックと俊也さんの呼びかけに、俺は更に慌ててベッドから降りながら、
「ご、ごめん! 俺っ、その、今っ!」
と支離滅裂なことを言いながら着替えにかかろうとした。だけど、
「朝食ならもう出来てるから、着替えたら顔を洗っておいで」
「……はい」
 戸越の俊也さんの言葉に返事をし、俊也さんが部屋の前から離れる足音を聴きながら、俺は大きなため息をひとつこぼして項垂れた。
 約10ヶ月、俊也さんの部屋に住まわせてもらい、その見返りに家事をこなしてきた俺だけど、こういうことは初めてだったし、やっぱり家事全般は俺の役目だから落ち込む。
 何でもう一度ちゃんと目覚まし時計をセットし直しておかなかったんだ、俺!
 内心で自分を罵倒しながらのそのそと制服に着替え、洗面所で顔を洗ってリビングダイニングに行くと、俊也さんが言っていた通りテーブルの上にすでに朝食が用意されていた。
 テーブルには未だに寝間着のままの俊也さんが、相も変わらず新聞を読んでいたけど、朝食はすでに食べ終わったようだった。
「よ、おはよう」
 俺が入ってきたのに気付いた俊也さんは、新聞から顔を上げると微笑んで言った。怒ってない様子にますます申し訳ない気持ちになり、俺は軽く頭を下げて謝った。
「ごめん、俺、寝坊して――」
 だけど俺の言葉を遮って俊也さんが、笑みを苦笑に変えると一旦新聞を置いてから言った。
「ユキ、いいから早く座って食べなさい」
 俊也さんにそう言われて「でも」なんて言えなくて、俺は言われた通りにテーブルに着いた。それを待ってから再び俊也さんが口を開く。
「たった一度の寝坊だろう? そんなに気落ちしなくていいって。それどころか、今までは出来すぎって言っていいくらいだよ。だからもう気にしない、いいね?」
 いいね、と言われて「いやです」とも言えず、俊也さんの優しさに甘えることにして俺は「はい」と返した。だけど、これからはやっぱもっと気をつけよう、うん。
 俺の返事に満足したのか、「よし」と言って俊也さんはまた新聞を広げて読み始め、俺も手を合わせて「いただきます」と言ってからテーブルに並べられてる朝食に手をつける。朝のホームルームには間に合うと言って、それほど余裕があるわけでもないし、朝練がない日だってもう少し余裕を持って出るから、何となく遅れて登校するのが落ち着かない。だからいつもよりも食べるペースを上げる。
 俊也さんが作ってくれた朝食は、焼いた食パンに平べったく焼いた玉子焼きを乗せたものと、玉ねぎの入ったコンソメスープ、それからコーヒーだ。
 俺がここに住まわせてもらうようになってから、ほとんどの食事を俺が作るようになって、俊也さんが料理を作るところはあまり見たことがなかったから、時々俊也さんって料理できるのかなって失礼ながら思ってたんだけど、俺が住まわせてもらうことになる以前に2年くらい一人暮らしをしてたんだから、普通は料理ができて当然なんだよな。
 そんなことを食べながら改めて思っていると、新聞に目を通しながら俊也さんが訊いてきた。
「そういえばユキ、時間は大丈夫なんだったよな?」
「うん、8時40分までに行けばいいから」
「そうか」
 朝練がない日の方が少ないから、俊也さんが朝練のない日の登校の時間を知らなくても当然だけど、もしかしたら間に合わないって言ったら「車で送る」って言うつもりだったんだろうか。
 寝坊して朝食を作れなかったばかりか、学校まで送るなんてしてもらったら申し訳ないなんて思うどころじゃない。早めに起こしてもらって良かったと思いながらパン、スープ、コーヒーを胃袋に流し込み、部屋に戻ってネクタイを付けブレザーとコートを着込み鞄を持つと、一旦リビングダイニングに戻って俊也さんに「いってきます」と声をかけ、新聞から顔を上げた俊也さんに「いってらっしゃい」と送られながら玄関に向かった。
 玄関を出てエレベーターで1階まで降りると、マンションのエントランスを出る。そうして右手に設置された駐輪場に置いてる自分の自転車のカゴに鞄を突っ込んで、鍵を外してから引っ張りだしサドルに跨る。跨ってからチラッと腕時計を見ると、時刻は7時49分。学校に着くころは8時20分から30分くらいか。いつもよりも20分ほど遅れてしまったなと思いながら俺は自転車を走らせた。
 車通り、人気のまばらな住宅街から、朝の通勤ラッシュで混雑した大通りを過ぎ、また車通りのまばらな裏道に入っていくと、時々里須中学校の生徒らが登校するのにかち合い、更に進むと今度は俺が通う根湖高校の生徒らの姿が増えていく。
 遠目に根湖高校の校舎が見えてあと少しで到着というとき、同じように自転車を走らせているクラスメイトの中川を発見した。背が高く大柄だから生徒の群れの中でもその背中の大きさやごつさで見分けられたし、某バスケ漫画の登場人物を真似したんだと言い張っているベリーショートの髪型も、この一年間で見慣れていたから一目で分かった。
 部活の朝練がない日でも登校する時間が違うから中川と登校途中で会ったことはないし、中川はバスケット部で朝練もあるらしいが開始時間が違うのかやはり朝練がある日でも登校が一緒になったことはない。
 俺が寝坊していつもよりも遅く出たからだろうが、珍しいなと思いながら自転車のスピードを少し上げて、とろとろ走る中川の自転車と並ぶと「よっす」と声をかけた。中川はさすがにバスケ部で一年のエースと言われるだけあり、俺よりも20センチほど背が高くて自然見上げる格好になるのだが、
「おー、はよー……」
 俺に気付いて振り返る中川は、挨拶を返しながら俺を見下ろしつつ鼻をすすり上げた。元気がないなと思ってよくよく見れば、鼻だけでなく鼻の周りも赤く頬も熱ったようにやけに血色がいい。声も鼻声だしもしかして、
「風邪か?」
 1月の寒さの厳しい季節だから風邪をひく奴も当然出てくるだろう。そんな軽い気持ちで訊いただけだったのだが、訊かれた中川は返事より先に何が嫌なのか眉間にしわをよせて「うう〜」と唸った。
 熱もあるようだし、鼻をしきりにすすってるし、単純に苦しいのだろうかと思って、
「何? 大丈夫か?」
と気遣ったのだが、中川は自分の体調よりも別のことで気落ちしてるらしい、首を横に振ってから鼻をすすりつつ言った。
「俺さぁ、体丈夫な方なんだけど、ガキん頃から冬になると毎年かぜひくんだ。しかも絶対成人の日にかぶるんだよ」
 へぇ、面白い習慣だなと内心で思ったが、本人の意思とは関係ないんだし誰からもそうしろと決められたことじゃないんだから、習慣というのも中川にとっては失礼な発言だったな。
「気の毒な体質なんだな。でも、しんどそうだし熱あるんだろ? 休めばいいじゃん」
 最もなことを言ったつもりだったが、また中川は渋面を作ると唸り声を発する。
 だから何が嫌なんだよ、と俺が聞く前に中川が押し殺した声で何かをぼそぼそと呟いた。ただでさえ鼻声で聞き取りづらくて、何を言ったのか分からなかった俺が「なに?」と聞き返すと、先ほどより多少大きな声で中川がもう一度繰り返した。
「シンに笑われる」
 シンとは同じクラスの大野慎次のことで、中学の頃からの親友らしいが……。
 どういう意味だ? と思って更に問い返そうとしたとき、生徒でごった返す校門に差し掛かって、人や自転車をよけつつ校内の駐輪場に自転車を停めてったら、うっかり中川の言葉を忘れてしまってそのまま教室に向かっていた。
 教室に入って自分の席に鞄を置き中身を取り出していると、聞き覚えのある笑い声が聴こえてきて、見ると俺と一緒に教室に入って自分の席に着いた中川のそばで、クラスメイトの大野が腹を抱えて笑っていた。
 それで中川の「シンに笑われる」という言葉を思い出して、その通りになったなとは思ったがやはり何で大野が笑うのか分からず、俺は二人のそばへ行くと未だに笑いを止められないらしい大野に訊ねた。
「なぁなぁ、なんで笑ってんだ?」
 大野に訊きつつも、しんどそうに座っている中川の表情を見たら、さっきと同じように渋い表情で大野を睨みつけていた。そんな中川の恨みがましい視線などお構いなしに、笑いすぎて目の端の涙を拭いながら大野が答えた。
「だってこいつ、中学でいつも成人の日に風邪ひいてんだぜ」
 それだけなら4年続いたってだけで(それでも結構な確率だが)、笑えるほど奇妙なことでもない気はするが、どうやら中川のそれは中学だけの話じゃないらしい。
 大野が中川と小学校が一緒だったやつに聞くと、小学校でもやっぱり毎年成人の日に風邪を引いてたんだとか。
「高校になっても変わんねーなんて……笑えるっ!!」
 そうか、俺は高校になってから中川たちと知り合ったから中学の頃のことは知らないけど、一緒に過ごしてきた大野にとっては毎年見てることで、そうすると笑えるものなのかも知れないな。
 そう思って毎年成人の日に必ず風邪をひく中学の頃の中川を想像すると、不思議に俺も笑えてきて口の端がひくひくするが、中川が気落ちしているのが分かるので我慢した。だが、
「中川。笑われんのが嫌だったらやっぱ休めば良かったんじゃね?」
と言ったのだけど、間髪いれず
「休んだって次の日には笑われんだよ! 2日続けて休んでもわざわざ見舞いに来て笑ってくんだよ! こいつはそういう奴なんだ!」
と勢い捲くし立てられた。
 なるほどな。どうせ笑われるから休んでも休まないでも同じだし、登校できるなら登校しようと、そういうことなのだろう。しかし、変なところでムキになるんだなとも思うが、笑われてしまう本人にとっては只事ではないんだろう。
 それに、大野も大野だ。らしいと言えばらしいんだけど。
 大野は俺と同じくらいの身長でテニス部所属だから体つきもそれなりにいい。頭もいいし顔も好青年という感じで気さくな上にクールなところもある奴だけど、こういうちょっと変わったところがある。良く言えばユニーク、悪く言えば変人……なのかな。
 ま、「変人」と言うほど変でもないか、と思って大野を見たらまだ笑いが止まらないらしく声は抑えてるが肩が震えている。そして肩を震わせながら親指を立てた手を中川の方へ突き出し、
「いや、いいよ中川くん。ナイスだ」
なんて言っている。
 んー、やっぱ変人かもな。

2008.12.27

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